胡錦濤は中国のゴルバチョフになるのか?

漏れは一連の報道自由化・民主化要求は胡錦濤の黙許のもとに動いていると考えている。習近平という軍・金融資本・米国の傀儡が次の10年を支配する。そのまえに民衆の抵抗線を引こうとしているように見える。それは組織や特定個人の指導ではないことが望ましい。リーダー不在であることが肝要だ。自発的個人の築く人民の壁なのだ。
 

国新聞趣聞〜チャイナ・ゴシップス
中国に民主は訪れるのか「今の活動はリーダー不在、これをどう見るかが難しい」
福島香織
2011年8月31日(水)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20110829/222309/
 
 8月24日付けの人民日報掲載の論評を読んだか、と知人に聞かれた。「民主を実施するしか、社会発展は誤った道を避けることができない」という大胆なタイトル。読んでいなかったので、あわてて読んでみると、なかなか興味深い。
 「民主とは政府の満足と社会の満足のバランスをとる重要メカニズムである」とかなり踏み込んだことまで言っている。
(略)
 言うまでもなく、論評中に出てくる「統治階級の希望」「政府利益」「政府の満足」というのは、共産党一党独裁体制の存続だろう。その前提での発言なので、あくまでも「党内民主」についての論評だが、それでも全村民の直接選挙で選ばれる村民委員会選挙を例に挙げて、民衆パワーを政治に組み入れる考えにまで言及している。そしてはっきりと、政府の満足と社会の満足が一致していないことを認めている。
(略)
 経済観察報(8月26日付)の「民本から民主へ」というトリポリ陥落を受けた論評も面白い。
 
民主化の潮流の中で、過去の革命指導者が、民衆の公敵として打たれた」
「民主が良好に運営されるための条件は多いが、民主が起きる条件はそう多くない。民衆が自己の権利と人格に目覚め、特権階級に怒り、圧迫に抵抗し、人々が平等を望めば、人心は民主に向かう」
「民主の潮流はアラブ社会に留まらない」
 
とした上で、
 
「民主は西洋社会起源のものというが、中国には古来、“人心を得た者が天下を得る”という民本思想があった」
「20世紀に中国であった2度の革命はいずれも“民主”を旗印にして人心を得た。その辛亥革命から100年経った。台湾の国民党は20年前に民主を承認し、小島の革命を終わらせた」
「民本思想の実現は民主制度の中でしかできない」
 
と、かなりはっきりと中国の民主化の必要を訴えている。
 
 先日、日本に出張に来ていたベテランの中国人記者に、率直に尋ねた。今年に入ってから中国で起きた“ジャスミン”騒動、内モンゴルの民族抗議活動、6月以降目立つ維権デモや官民衝突、7月の高速鉄道事故とその後の大衆の怒りとメディアの抵抗、8月の大連市のPX製造工場移転要求の市民デモ…。こう言った動きに、例えば1989年の天安門事件前夜に似た空気を感じるかどうか。
 
 すると彼はこう答えた。「天安門事件は学生リーダーがいて、メディアの中にもリーダー格がいて、党内にも後押しする指導者がいて、社会不満が民主化要求デモに集約されていった。でも今の動きの中にはリーダーが不在なんですよ。これをどう見るかが難しい」
(略)