Q:中国共産党にとって最大のタブーとは?


2011年2月10日(木)
中国共産党にとって最大のタブーとは? それは…
前回コラムで残した問いに答える
加藤嘉一
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20110207/218345/#author_profile_tag
(略)
答えは「天安門事件
 
 そろそろアンサー移ろう。答えは、「天安門事件」である。多くの読者は、「ああ、やっぱりね」と納得したか、「なあんだ、天安門事件か」と拍子抜けしたであろう。
(略)
天安門」の文字は使えない、仕方なく触れるときは「政府風波」
 
 「天安門事件」については、話題にすること事態が許されないのだ。中国大陸(香港、マカオ、台湾は含まない)からグーグルにアクセスし、「天安門事件」と入力して検索すると、「このウェブサイトはご利用いただけません」の画面に無条件にシフトしてしまう。新聞やテレビなど公の場で、触れることも許されない。「天安門事件」と直接的な表現を用いた評論も、禁止されている。
 
 中国のインテリやジャーナリストたちはみな、お国の事情を理解している。「六・四事件が中国民主化プロセスに与えた影響」なんていう書籍は出版されない。「六・四徹底検証」などという特集を組むメディアはない。やった場合、確実に拘束される。中国に在住する中国人として初めてノーベル平和賞を獲得した劉暁波氏のように、「国家扇動罪」の名目で牢屋に放り込まれることは目に見えている。
 
 今、筆者の手元には、北京大学国際関係学院、学部2年生のときに使っていた『勝g小平理論と3つの代表重要思想概論』(中国人民大学出版社、第2版、2004年12月)という教材がある。教育部(日本の文部科学省に相当)の「社会科学研究及び思想政治工作局」が自ら検定したプロパガンダ用のテキストだ。
 
 講義名称は「勝g小平理論」、中国の大学では「政治課」と呼ばれ、必修科目となっている。筆者もほかの中国人学生同様、334ページ全内容を暗記し、96点で無事合格した。昨日のことのように覚えている。
 
 第10章「社会主義の外交戦略と政策」の第3節「国際情勢に対応するための指導方針」には、文脈上、どうしても天安門事件の存在に触れなければならない個所がある。どのように表現しているのか。引用してみよう。

 20世紀の80年代後半から90年代前半にかけて、ソ連が解体し、冷戦構造は瓦解した。中国はかつて社会主義陣営に属していた唯一の大国として、大きな外交的圧力に直面することになる。特に、1989年の春夏が交わるころに政治風波が起きた後、アメリカをはじめとする少数の西側諸国は中国に制裁と圧力を与え、孤立させることで、崩壊させようとした。(285ページ)

 このパラグラフが、天安門事件が発生した前後の、中国を取り巻く国際情勢を説明していることは一目瞭然である。しかし、「天安門事件」あるいは「六・四事件」という直接的な表現は使ってはならない。
 
 当局には指導方針がある。「どうしても言及しないと、前後のつじつまが合わないときに仕方なく使用する表現」(教育部幹部)が「政府風波」、と内々に規定しているのだ。共産党トップダウンに課すこのロジックと政策は、青少年教育だけでなく、公開の学術研究やジャーナリズムにも適用される。
 
天安門事件が残した意味
 
 繰り返すが、「天安門事件」に関しては、言葉を出すことそのものが禁じられている。この意味で、昨今の共産党政権にとっての最大、かつ唯一のタブーなのである。
 
 1989年、春夏が交わるころ勃発した「天安門事件」は、中国の民主化にとっての分水嶺だった。勝g小平という改革者は、学生たちの民主化要求デモを、軍を出動させ鎮圧した。この史実は、何を意味し、昨今の民主化プロセスにどう影響しているのだろうか。
 
 次回コラムで、引き続き、読者のみなさんと考えていきたい。