劉暁波のノーベル平和賞をめぐるネット上の攻防(後編)


待っていた続編!
  
ようするに1979年訒小平は体制改革を開始した。「経済の民主化」「政治の民主化」である。
しかし1989年に外国勢力がつけ込んで体制転覆未遂事件「天安門事件」が発生。「政治の民主化」は封印され、「反日教育」によるブレインウォッシュで体制強化を図った。
なお「政治の民主化」外国勢力関与には敏感。国内運動には比較的穏健だ。(これは戦前日本のコミンテルン恐怖に似ている気がする)
現在中国庶民は中共の金儲け力を信頼しているので政治の民主化は押さえ込まれている。
しかし経緯から言って「反日」を理由にした反体制運動を抑制することができなくなっている。
よって経済が失速するまでに、一定の民主化を果たさないと、「反日」を理由にした反体制運動が抑制できなくなる恐れがある。
   
・・・日本人としては迷惑な話だなあ。中国人の反日洗脳をソフトに逆洗脳するような啓蒙が必要だろう。
   

2010年12月27日(月)
劉暁波ノーベル平和賞をめぐるネット上の攻防(後編)
遠藤誉
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20101222/217675/
 
 では中国政府はなぜ、ここまで「08憲章」を恐れるのか。
 なぜ、ここまでノーベル平和賞を否定するのだろう。
(略) 
 では、中国政府は「08憲章」に対して、ネット公開時点でどのように反応したのだろうか。
 実は非常に摩訶不思議なことが起きている。
 誰が見てもこれはまずいことになるだろうと思っていた「08憲章」だが、政府はその中心人物である劉暁波を公開前に拘束しておきながら、厳しいネット言論の検閲の下、なんと12日間も「08憲章」をネット空間から削除せずにいたのである。
 筆者は当初はその理由が分からず「わざと放任して署名者が増えていくのを追いかけ、後で逮捕するために泳がせている可能性がある」と日経ビジネスオンラインの連載記事で推測した。
 しかし、実際は必ずしもそういうことではなかったようだ。
 2009年1月15日付の「博訊」によれば、「08憲章」の内容があまりに「政治的に敏感な」問題であったため、どの部局も責任を持ちたがらず、次々と上に報告して判断を仰ぎ、ついに胡錦濤国家主席の手元にまで上がっていったらしい。
(略)
 2010年10月8日のノーベル平和賞決定に対する中国政府の反応は迅速だった。迷うことなく抗議を表明し、獄中の罪人にノーベル平和賞を授与するのは同賞への「冒涜」であるとさえ断言して非難した。
 胡錦濤には「硬的更硬 軟的更軟」(強硬に対処すべきものにはさらに強硬に、柔軟に対処すべきものにはさらに柔軟に)という基本姿勢がある。体制内問題でない以上、断固として「硬的更硬」に属する事柄であった。従って、これに関しては一歩たりとも譲る気持ちはない。
(略)
 この天安門事件の再来ほど、中国政府にとって怖いものはない。それを防ぐために、その後国家主席になる江沢民の提唱により1991年から「愛国主義教育」を始めた。その理念は当初、「“崇洋媚外”をやめ、中華民族の伝統的な文明を愛そう」というものであった。“崇洋媚外”とは「西洋を崇拝し、外国に媚びる」という意味だ。
 しかしこの「愛国」はやがて「国の礎である抗日戦争において中国共産党がいかに偉大に闘ったか」という教えへと変貌していき、今日の若者たちの激情的な反日感情を醸成する結果を招き、反日デモなどにより政府を悩ませている。国内矛盾を数多く抱えている政府としては、いかなるデモであれ、暴走すればその矛先が政府自身に向かってくることを知っているのだ。
(略)
 日経ビジネスオンラインで連載した『ネットは「中国式民主主義」を生むか』で何度もご紹介したように、中国政府は中国なりの“民主主義”を何とか生み出そうと模索している。西洋型の“議会制民主主義”だけが“民主”とは限らないと思っている。
(略)
 訒小平は改革開放に当たり、経済体制改革とともに政治体制改革も必要だと述べているが、政治体制改革のほうは1989年の天安門事件により封印してしまったからだ。そして(拙著『拝金社会主義 中国』で触れたように)中華人民共和国誕生以来叫ばれてきた「向前看(シャンチェンカン)」(前に向かって進め)は同じ発音の「向銭看(シャンチェンカン)」(銭に向かって進め)に置き換えられてしまった。このため改革開放後に生まれた若者たちの権利意識は高くなったものの、「08憲章」的民主主義へと突進する環境にはないのである。
(略)
 また中国国民は、中国共産党に代わる政党が中国を治め、かつ今の中国共産党政権が与えてくれているほどの経済的繁栄と金儲けのチャンスを保障してくれるだけの力を持ち得るか否かに関して疑問を持っている。そんな可能性は想像の世界の非現実的な出来事だろうと観念することに慣れ切ってしまっているのである。
 だから中国が経済的に破綻でもしない限り、「08憲章」型の民主化運動が起きる可能性は低い。
 それよりも、免罪符を持ち得る反日デモ、および、そこから派生していく「社会不満を巻き込んだ」運動の方がよほど現実的で「反政府的」になり得ることを、中国政府の誰もが知っているのである。
(略)    
 しかし一方、愛国主義教育を強化した結果、結局若者に「いずれは政府に矛先を向けてくるであろう」反日デモに燃える口実を与えてしまっている。
 従って、どの道を選んでも、政治体制改革を行なわない限り、中国政府は民からの突き上げから逃れることは困難だと言えるのかもしれない。