日本破綻論者列伝:小峰隆夫

事業仕分けはもう意味が無い」
埋蔵金は解決にならない」
「本当の弱者は将来世代」
だから増税しよう!
 
まぁ、事業仕分けに意味が無いことは同感ですが。
「将来世代こそ弱者」論は、増税反対になりがちな「弱者を救え」論を増税論に結びつける最近の流行ですね。

2010年12月28日(火)
「悲惨な弱者」と「巨大な格差」を忘れてはいないか
来年度予算案から見えてくる本当に考えるべき課題
小峰隆夫
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20101226/217740/?P=1
(略)
 枠組みについてはいわゆる「事業仕分け」があった。これは国会議員、民間の有識者が公開の場で予算の中身を議論し、その場で「廃止」「縮減」などの判定を出していくものだ。2009年はこれが大変な評判になり、多くの人に支持された。しかし、この仕組みはもはや限界であり、歴史的使命を終えたと言えるだろう。それは次のような理由による。
 
 第1は、今回は民主党が決めた予算を仕分けていることだ。2009年の仕分けは、従来の自民党政権時代の予算の中身を洗い出すという意義があった。しかし、今回仕分けているのは、当の民主党が決めた予算である。自分が決めた予算を自分で仕分けているわけだ。予算を決めてから仕分けるのであれば、最初から仕分けた予算を出せばいいではないか。
 
 第2は、2009年の仕分けは閣議決定前の段階の仕分けだったが、今回は閣議決定後だということだ。日本の制度では、閣議が政府の最終意思決定機関である。閣議で決まったことは全閣僚が合意した重みのあるものだ。それを閣議の構成員でない仕分け人が判定し直すというのはどういうことだろうか。これでは、仕分けのプロセスが閣議より上位となってしまうではないか。
 
 第3は、仕分けの効果そのものが小さいことが分かってきたことだ。もともと2009年夏の民主党マニフェストでは、既存予算の無駄をなくすことによってマニフェスト実行のための財源は出てくることになっていた。その無駄を洗い出す作業が事業仕分けだったわけである。
 しかし、やってみるとそれ程の財源は捻出できなかった。要するに、無駄の削減ではそれほどの財源にはならないことが分かってきたのである。
(略)
 多くの人が、弱者保護と格差是正の必要性を主張する。にもかかわらず、将来世代という悲惨な弱者を救おうとせず、現世代と将来世代という巨大な格差を是正しようという議論が盛り上がらないことは、私にとって謎としか言いようがない。