私はあえて新防衛大綱を歓迎する

大手メディアから事実上締め出されている天木元レバノン大使。
それを起用し続けているのはある意味すごいことだ。
日経にも骨のある人はいるんだね。
というわけで、天木さんの指摘なんだが、漏れもまったく同じことを思った。
昔『本当は弱い自衛隊』(書名あとで確認)を読んで「自衛隊はパワープロジェクション能力がないから実は弱い」という結論に納得した。
今回まさにそのパワープロジェクション能力=動的防衛力を整備することが主体となっているのだから画期的だと思った。
実質的に自衛隊が「使える軍隊」に生まれ変わるのだから特アが騒ぐのも予想通りだ。
でも天木さんも書いているように今までが異常な「ごまかし」だったわけで、どっちにしろ、独立国として考えなきゃならない宿題だったのだ。
だからそもそも論提起を受け止めると同時に浅はかなウヨク吹き上がりを諌められるようガッチリと勉強しておかなければならない。脳硬化サヨには期待出来ないしね(笑)
 
追記)
ところで今はプチサヨの巣窟と目されているマスゴミですが、漏れは彼らはそのうちバカウヨに迎合する可能性があると思っている。(だってサラリーマンだから)
左右どちらにせよ、マスゴミを信じない、という原則は堅持しよう。
 

2010年12月27日(月)
新防衛大綱はパンドラの箱を開けた
日本は今後3つの問題に悩む
天木直人
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20101221/217667/?P=2
(略)
 新防衛大綱の起案者たちが喜び勇んで打ち出したと思われるこの“名案”こそ、日本の国防政策についてパンドラの箱を開ける事になるに違いない。
 そもそも基盤的防衛力構想の本質は、憲法9条と日米安保条約の矛盾を包み隠す一つの知恵であった。すなわち日本は憲法9条の下で戦力を放棄する。しかし日本に対する脅威は歴然と存在する。そのためには米国に守ってもらわなければならない。米軍が助けに来てくれるまでの間、憲法9条が許す自衛権を発動するために、必要最小限の自衛力を持つ。これが基盤的防衛力構想だったのだ。
 この事を12月15日付の朝日新聞「ザ・コラム」で外岡秀俊編集委員がいみじくも次のように指摘している。「『基盤的防衛力』とは軍備拡張に歯止めをかけ、憲法9条とぎりぎりで折り合う『抑制の原則』だった」のだ、と。
 護憲政党憲法9条違反の政府を攻めきれない理由がそこにあった。日本国民が憲法9条と日米安保という矛盾した方針をともに受け入れてきた理由がそこにあった。
(略)
 パンドラの箱が開かれて多くの問題が飛び出してくるだろう。この中で、私は特に次の3つの問題をここで指摘しておきたい。
 
 一つはフリーハンドになったこれからの防衛政策の一つひとつが、一方において護憲派から憲法9条違反だと責められる。そして他方において、改憲派からは憲法違反の安保政策が次々と要求されることになる。その板ばさみになって政権は絶えず漂流することになる。これである。
 
 二つ目は中国、北朝鮮との緊張関係に悩み続ける事になる。平和主義者はもとより、良識ある国民や経済人なら、日本の将来は中国との共存共栄しかないことを知っている。北朝鮮との対決よりも北朝鮮との国交正常化の実現が望ましい事を知っている。
 
 しかしその一方で、愛国・反動主義的な立場の国民は、中国、北朝鮮に対する国民世論の警戒感を利用する形で、両国に対する軍事力の強化を求めるよう要求する。
 
 三つ目は米国の「テロとの戦い」に巻き込まれる危険性が一層高まることである。今度の新防衛大綱には、奇妙な事に「テロとの戦い」への言及がほとんどない。しかし、言うまでもなく、米国の安全保障政策の最大の関心は中東である。パレスチナ問題であり、そこから来るテロの脅威であり、そしてイラン・イスラエル戦争の可能性である。
 
 米軍は、在日米軍基地をそのために利用してきた。米軍は日本の基地からアフガニスタンイラクパキスタンなどにおける「テロとの戦い」に出兵していった。
 
 そして米国の「テロとの戦い」はこれから激しさを増す事はあってもなくなることはない。日本の防衛政策は、日本の防衛とは何の関係もない米国の「テロとの戦い」への協力要請に悩まされる事になる。
 
私はあえて新防衛大綱を歓迎する
 
 逆説的に言えば、私はあえて今回の新防衛計画大綱を歓迎する。新防衛大綱はわが国の防衛政策のパンドラの箱を開けてしまった。国民も目覚めるだろう。 わが国の防衛政策はどうあるべきか、と。
 
 対米従属の日米安保体制や無条件の日米同盟重視の政策が、果たして日本の将来にとって本当に有益なのか。日本は自主防衛を目指すべきではないのか。その場合、憲法9条を変えて軍事力の強化、核兵器保有の方向に行くべきなのか、それとも憲法9条を堅持して外交力によって日本の安全を守っていくべきなのか。
 
 これをきっかけに国会や国民の間でわが国の安保政策(または防衛政策、国防政策)について論議が活発化するなら、それこそが新防衛大綱の最大の功績であるのかもしれない。