日本国債暴落論と財政再建主義の折衷

このシリーズ便利な図がたくさん出てくるので面白いのだが、なんだかすんなり読めない。
結局下の句は「それにつけても財政再建」になっているような・・・(笑)
三橋貴明さんの活躍により、大本営財務省部発表だけでは苦しくなってきて理論の再構築に動き出したのかな?
たとえばシリーズのテーマはこんなふうに書かれている。

ビジネスパーソンのための日本国債入門
世界各国が金融危機から脱却するための財政出動を余儀なくされた結果、国債に対する信認は大きく低下している。日本でも財政状況は深刻さを増している。
ただし、「日本国債暴落論」は少なくとも今のところ「狼少年」ですんでいる。
これは、国内貯蓄率の高さと円高期待で、日本国債が「選ばれる側」にあったからだ。例えれば、各国が参加する「ソブリン・ワールドカップ」の「予選リーグ」を日本は通過しやすいということだ。しかし、その先の「決勝ラウンド」で勝ち残るためには、日本の国力を結集して財政問題の解決を急ぐ必要がある。

国債暴落論反論の要点は「国内債務」×「通貨発行権」のはず。
だけどここでは「国内債務」×「円高期待」に置き換わっている。
「日本国債」を日本人(とその代理である国内金融機関)が買ってくれるなら「通貨発行権」で債務を溶かすことも可能だ。
しかし日本人が日本国債を選んでくれなければ意味がない。
その選好の理由に「円高」を置いているんだけど、ちょっとヘンな気がする。
だって通貨価値って主変数じゃなくて従変数でしょう?
だから自分でも書いているように「日本経済への信任」とすべきじゃないのかなあ。
で、信任の条件を展開しているんだけど、ここでも引っかかる。
だって日本は

2010年12月7日(火)
日本国債の構造は「お父さんとお母さんのおカネのやりとり」のようなもの
「信頼」があればこそ成り立つ
高田創、柴崎健
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20101130/217335/
(略)
 日本とPIIGS諸国との違いは、経常収支にある。すなわち、PIIGS諸国はみな経常収支が赤字であり、基本的に国内で国債消化を行なうことができない。国債の消化を海外に依存した状態にあった。
(略)
 その「信認」の背景には財政規律への姿勢があったと言えよう。しかし、「同じ家の家族」(日本国民)でも「愛想を尽かせば」(信認を失えば)いずれ「家を出る」(資本逃避)ことが生じ得る。そうした意味での緊張関係は不可欠であり、そのバロメーターは市場が握っている。
(略)
 これまで、「赤字企業」さながらの日本に対し「融資」が続いたこと、すなわち国債投資が続いているのは、日本の投資家が抱く、暗黙裡の3つの信認があるからだと考えられる。もしくは、日本の金融機関はメインバンクとして、赤字企業である日本の「再建計画」とに以下の3点の期待を持ち続けてきたとも言える。そうでも考えないと、この巨大な「赤字企業」への融資は正当化できない。
 
 3つの信認の3段階
(1)日本はいずれ経済成長に戻る
(2)経済成長に戻れば、そこで増税の租税高権を発揮する決断を行う
(3)政府は決断を実行するガバナンスを持っている
 
 ただし、言うまでもなく以上の信認はそれぞれに不確実性がある。
(略)