北鮮が日本攻撃しても益なし、されど・・・

この伊東さんって『さよなら、サイレント・ネイビー』で有名だけど、東大の物理学修士なのにブーレーズらに学んだ作曲家・指揮者で、情報学者というルネッサンス的大天才。エリート大好きの朝日新聞・NHKが飛びついたけど国益を重視するリアリストでもあるのだった。その彼が語る戦略論、傾聴せざるを得ない。韓国の旧日本軍型縦社会の効率のよさは創造性が重視される現代では桎梏となるという論は、漏れが日本兵捕虜のヘタレを例に演算処理の集中と分散で自律ノードを重視する論と同じだ!( ̄^ ̄)
あとタレーランのフラグ立て論も、漏れの日本のキャラ立ち論=国体明徴運動?と似ているかもw
追記)
1965年生まれでまだ45歳なんだね。

2010年12月7日(火)
第二次朝鮮戦争でも日本爆撃はペイしない
――商行為として戦争を冷静に考える
伊東乾
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20101202/217361/?P=1
(略)
 ナポレオン戦争後の欧州新秩序を決める「ウィーン会議」ではフランス代表として、敗戦国でありながらフランスの国益を守りました。タレーランはここで武力ではなく、「錦の御旗」を掲げます。それは「正統主義」と呼ばれるアイデアです。今ここで「正統主義」に深く踏み込むことはしませんが、フラッグが一本立っていることの強み、と思ってください。
 
 会議に参加する列強には、各々の利害対立や欲得があります。その利害を読みながら、いたずらに武力を行使したり、あるいは過大な武装で国力を疲弊させたりするのではなく、誰しもが「ノー」と言えないドグマを見つけ出し、その前の忠実なる司祭然として振舞うことで、結果的に敗戦国でありながら、フランスの損失を最小に留めるストーリーを見出し、これをいけしゃあしゃあと展開、本当に押し切ってしまう、そういう胆力を言っているのです。
 
 今、日本に求められるのは「唯一の被爆国」など絶対的なカードを手にしたタレーラン的な外交の知性と思います。
  
(略)
 冬の韓国料理の定番に「チゲ」という鍋料理があります。その中でも、インスタントラーメンなどが入った重量級の「チゲ鍋」で「ブデチゲ」と呼ばれるものがあります。学生などと韓国料理店に行った時には注文することがありますが、40を回った中年には少しボリュームオーバーです。
 この「ブデチゲ」、漢字で書くと「部隊チゲ」で、元来は旧日本軍の野営部隊での鍋料理が元になってできたものだというのです。

追記)
 
ところで伊東さんは3年前に死刑廃止を巡って佐藤優氏と対談していたのだが、なぜか3回目で中断したままになっている。
あれ、どうしてとまっちゃったのかなあ?
なお、そのなかで「国家主義者」佐藤優氏は「国家主義のために死刑廃止」を唱えている。
それが漏れには非常に腑に落ちた。漏れも前々からそう思っていたからだ。
というのも「国家」というものは実体が無く「国民」が観念するだけの約束事に過ぎない。
だから存続させるために為政者は四苦八苦するわけで、逆に言えば、もっとも強力な国家とは存続のために苦労しない国家である。
つまり強制力を行使しないでも「なりなりてなる」ように存在する国家、空気のような国家が最強なのだ。
たしか佐藤優氏は「ファシズムはやさしい国家主義だ」と言っていたような希ガス
ところがここからが議論が分かれるところで、まったく同じ認識から池田清彦氏は「死刑存置」なのだ。
漏れは国家社会と市民社会が一致してしまうこと、国家が全面化することに反対だ。
だから漏れも市民の論理として「死刑」を支持している。

2007年9月6日(木)
【第1章】 誰が主権者を吊るせるか?
二重の職人芸
佐藤優、伊東乾
 
(略)
佐藤 日本の裁判制度ということならば、悲観的にならざるを得ません。私も刑事被告人になるまで分かりませんでしたが、あれは近代的な裁判ではなく、「お白州」です。
(略)
 イスラエルで死刑が廃止されているというのは、「死刑囚がかわいそうだ」というような情緒論ではなく、実は国権論から考えてのことなんです。死刑によって法秩序を維持するのは弱い国家だという意識があるからです。アイヒマンの処刑についてもイスラエル国家の弱さを示すものとイスラエルの知識人は認識しています。