東芝うつ病裁判

 
この話ほんとに良く分かる。
東芝って「働きやすい会社」ランキングの上位常連なんだけど、よく悲惨な話を聞く。。。
 
問題は労働時間が長いかどうかとかイヤな上司に当たったとかじゃない。
組織が無責任で社内の空気が異論抗弁を許さなくなってしまっていることなんだ。
そして現場に矛盾を皺寄せして責任を押し付ける保身の横行。
日本軍の末期症状とおんなし。ああ山本七平先生!
 
でもこの話に救いがあるのは直ぐに支える会が出来たことだね。
プロ市民ではなく周囲の知人友人がネットワークで立ち上げたらしい。
良い同僚に恵まれてよかったね。
彼女のことはヒトゴトではない。個人的なことは社会的なことなのだ。
この闘争に勝利することが却って会社のためでもあると思うんだけどなあ。
でも負けを認めると対決方針をとったエライヒトの責任が問われるから困るんだろう(笑)
しかしこういう本当に労働者のためになる事例でサヨクは影が薄いなあ。
わけの分からん60年以上前の犯罪糾弾より、こういう個別事例の解決実績を積上げてゆくべきなんだが・・・
 

解決!法律塾
2010年 11月 21日半年で自殺者が2人出た職場
私は「うつ病裁判」をどう闘い抜いたのか【2】
プレジデント 2010年10.18号
ライター 宮内 健=文
http://president.jp.reuters.com/article/2010/11/21/0D61CB6C-ED44-11DF-AFC8-83E13E99CD51.php

「O君が今、行方不明になっている。連絡があったら『何も心配しなくていいから、とにかく出てきて』と伝えてほしい」

東芝深谷工場で液晶ディスプレイの製造ライン立ち上げプロジェクトに従事していた重光由美さん(当時35歳)の職場では、01年7月のある日、急に全員が招集された。

「O君が今、行方不明になっている。連絡があったら『何も心配しなくていいから、とにかく出てきて』と伝えてほしい」

Oさんは重光さんの斜め向かいに席があった同僚である。そんなアナウンスがあった数日後、Oさんは遺体で発見された。自殺だった。

それから5カ月後の同年12月には、やはりプロジェクトに従事していたKさんが自殺。

「Kさんは律儀だから、ほとんどの会議に出ていたんですよ……」

そう故人を思い返す重光さん自身、同年9月にうつ病で休職を開始した。一時的に復職したものの再度休職し、現在に至るまで療養を続けている。

(略)

要は業務の調整が全くなされないまま、さらなる要求だけが課されていったのである。

「ものすごく忙しくて疲れ切っている中で一生懸命仕事をしているのに、できない理由も聞かず、人を全く信用しないようなやり方で無理矢理働かされて、すごいストレスでした……」

業務の割り振りをめぐる混乱も起きた。01年5月の連休明け、重光さんは上司からある新製品の開発業務の資料をポンと渡され、軽い感じで「やって」と指示された。たいした説明もなかったため、まだ少人数で試作品をつくっている段階だと重光さんは思ったという。ところが、求められて会議に出席してみて、仰天してしまった。

「もう出荷のために承認を取らなければいけない大変な時期だったんです」

すでに手一杯の重光さんは新たな業務を断ったが、「M2ラインは別の人にリーダーをやってもらうから」と上司に説得され、開発業務を担当することになった。しかも製品の承認を受ける会議の提案責任者という重要な役回りで、である。

ところが重光さんはこの製品の開発に関わった経験はなく、上司から詳しい説明もなかった。他部署が関わる業務のため「どうなっているんですか?」と問い合わせが次々に来たが、上司は「担当の重光さんに聞いて」と丸投げするだけだったという。

製品開発に関する勉強や連日の会議出席、資料作成などに追われるうち、重光さんは激しい頭痛に見舞われた。5月下旬には12日間連続で会社を休んだほどである。その後も頭痛や不眠、疲労感などの症状は改善せず「フラフラで出勤するのがやっと」の状態に陥った。

「承認会議の責任者はできません」

体調の悪化を理由に重光さんは上司にそう申し出た。だが、上司は無言で立ち去り、その後に重光さんは別の部署の上長から呼び出され、こう告げられた。

「いますぐ承認会議の打ち合わせをしてもらわないと、出荷ができなくなって困る」

結局、承認会議は乗り切ったものの、さらに体調が悪化した重光さんは、受診していた神経科クリニックのアドバイスを受け、長期療養に入ることになった。

明らかに体調が悪化した後は、仕事を投げ出してもよかったのでは? そう尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「12日間休んだ後は本当に会社に行くのがやっとで、なるべく製品開発の仕事はやらないようにしていたんです。でも上司が私を責任者にした以上、うまくいかないと周囲から責められるのは私なんですよ。どうしようもない状態でした」

 
(にゃんこの参照)
うつ病患者の裁判しながら日記
東芝・過労うつ病労災・解雇裁判 重光由美さん支える会