会議難民

無駄な会議は「老廃物」
[1]ダブついた幹部や管理職の口実になってないか
横山信弘
2011年8月22日(月)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110817/222117/
 「いやぁ、横山さん…」
 誰もいなくなった会議室で、私は営業部長から熱い握手を受けた。言葉にしなくても、それが「感謝」の気持ちであることが伝わってくる。
 営業コンサルタントとして私の役割は、組織の中にいてはなかなか言えないことを第三者として客観的に表現することにもある。
 「取締役のお2人、この会議室から出ていってください。今後、営業会議にお2人はご出席いただく必要はありません」
(略)
 営業成果を上げるためには、いくつかの戦略がある。その重要な武器の1つが「脱会議」。
 私が提唱する「脱会議」とは、『会議の「数」、会議の「時間」、会議の「参加者」を2分の1に削減し、「会議総コスト」を90%削減させる』こと。
(略)
 今はスピードの時代。現場にいる選手が細かいパスをつないでゴールを決める。これが現代のやり方。ハーフタイムに明け暮れているチームに明日はない。
(略)
 先日、ある会社の管理部門の人と話をした。せっかく導入したシステムがうまく使えていないので大変な問題になっている。このような相談内容だったので、1度研修をしましょうかという提案をした。
 すると「その件について、ゆっくりお話できるのは3月になります」と言われた。一瞬、頭が真っ白になった。時期は6月である。なぜ9カ月先にならないと「ゆっくりお話ができない」のか。
 しかし、しばらくして理由が分かった。この担当者と話をしてから2カ月が経過し、すでに8月に入ったが、いまだ1度も連絡がつかない。部下が毎週のように電話やメールをしているのだが、ほとんど会議を理由に話ができない。単純に居留守を使っているだけと思い、部下がアポイントなしで訪ねてみたところ本当に1日中会議に明け暮れているのである。しかも電子メールの受信トレイには毎日100通ほどが届いており、とてもすべて見ていられないとのことだった。
 ご自身はとても忙しそうだ。しかし客観的に見ていると、会議の中で取り沙汰されているテーマが何一つ前に進んでいないことに気付く。会議では報告ばかりで、前回の会議で報告された内容とほとんど変わっていないことにも誰も気付かない。ひどい場合は、会議資料の更新さえもされていない。
(略)
 先日、例の取締役を廊下で見かけたが、心なしか背中が小さくなった気がした。会議から追い出し、彼らが渡り歩く会議も次々と取り上げてしまったことで、私は彼の仕事を奪ってしまった。

 脱会議を進めることで、彼のような「会議難民」が生まれることがあるかもしれない。会議とは、年齢構成的にダブついている幹部や管理職、管理部門にいるメンバーに平等に与えられる既得権益である。逆に考えれば、会議があることが、現場と向き合わなくてもよい言い訳となっている。彼らは会議を取り上げられた以上、現場回帰して仕事をしていくしかない。

 無駄な会議は、いわば「老廃物」。体に老廃物がたまれば、肌荒れ、むくみ、肩や腰のコリに悩まされることになる。会議に明け暮れ、そのこと自体に何も疑問を覚えない人は自分自身が組織の老廃物になっているのかもしれない。そう考えると、オフィスに初めから設置されている「会議室」は、恐ろしく不健全で、虚栄に満ちた空間に思えてくる。
(略)