ローカル局の未来

テレビ局が危機だ!とかいうけど、映像コンテンツは花盛りだよね。
逆に危機だという「テレビ局」ってなにかといえば免許で左団扇の「電波官僚利権」のことでしかない。
震災を経て明白になってきたように地元密着のコンテンツへのニーズはますます高まるんじゃないかな。
コンテンツの側から見れば、電波じゃなくてネットでもなんでもいいわけだし、地域独占が崩れたほうが可能性も広がるわけで。
あと「個人情報」への過剰配慮ってのも電波官僚制の自己保身だからね。
テレビ解体!電波官僚制打倒!てなもんですな。

「テレビは権威ではない」ものづくりを手放したキー局とローカル局の未来
http://www.cyzo.com/2011/05/post_7439.html
(略)
藤村 僕ね、ローカル局はキツイとは別に思っていないんですよ。テレビは電波塔を持ってて、免許事業だからそう簡単にはつぶれない。じゃあなんで「キツイ」って声が聞こえてくるのかといえば、キー局も含めてテレビ局が「作る」という部門を手放しちゃったから。(略)
 
――そういった、ひたすら防御する方向に向かっているテレビ局へのいら立ちはありますか? テレビだけでなく、広い意味での「見せる側」が過剰な規制をかけている現実があると思うのですが。
 
藤村 僕らの世代(40代)は、テレビが一番無茶していた番組を見ていた時代でもあります。だからこそ、今の抑えつけられた状況を「おいおいいいのか?」って思いますよ。それは僕だけでなく、業界にかかわる人間は誰しも思っているんじゃないですかね。都心のど真ん中に立派な社屋作ったら、もう無茶できなくなっちゃうでしょ。あれは"権威"の象徴ですからね。でも、東京を変えるのは難しいと思います。だからこそ、コンプライアンスが絶対で、些細なことにも承認を得なければならないという窮屈な空気を、地方から少しずつ破っていかなきゃいけないと思いますね。法を犯すのではなく、表現の幅を取り戻すというか。それもローカル局のひとつの役割ですよね。
 
――「テレビがモザイクだらけになる」という笑えない冗談が現実になってしまいますよね。
 
藤村 だからこそ、僕らの世代がいったん捨て石にならなきゃいけないんですよ。それこそ「テレビが全部モザイク」になる前に、「ちょっと待った!」と声を上げる。「いいじゃん、これくらいは別に」って。それをやると、「何を言っているんだ!」ってバッサリ切られるんです、たぶんね。でも一人がバッサリ切られ、次もまたバッサリ切られっていうのを繰り返して、それで社会が少しずつ動いていけばいいんじゃないかなって。それができるのは、超マジメな20代でも、慎重過ぎる30代でも、危機感すら感じていない50代60代でもなく、特に苦労せず今まで生きてきて、出世にもガツガツしてない僕ら気楽な40代だと思うんですよ。
(略)