モテ問題

いい歳こいてもモテ問題は乗り越え不可能な地平なんですね
 

2010年11月15日(月)

「僕の本棚を見つめる少女」は、春樹問題にアカンベーをする
語り合おう、恥ずかしくも懐かしい「青春の5冊」その4

 お2人の「青春の5冊」から始まった「人生の諸問題・読書編」。読者のみなさまにインテリジェントな秋の夜長をご提供するはずでしたが、「さるかに合戦=プランナー説」、「春樹問題」に続いてあぶり出されたのは、結局、「モテ問題」という永遠の命題でした。

 今回、まず、その俎上に載るのは、「くだらなすぎた人格だったのに、女性にモテまくった」と言われている太宰治です。(前回から読む)

 くだらなくも面白い人生の諸問題を、二人の言霊使いがセキララに語り下ろす、この連載をまとめた新刊『ガラパゴスでいいじゃない』も、おやすみのお供にぜひどうぞ。

小田嶋 我々の短かからぬ人生の中で、何人かの女性から支持を得たことが仮にあったとすると、そういう場合って、もしかしたら自分の中にある一番素晴らしい部分に惹かれてくれたんじゃなくて、ダメな部分に反応したんじゃないか、と、そう思える今日このごろなんだよね。

岡 そう、言わば太宰的な部分にね。

小田嶋 恋愛みたいなものって、互いの美点ではなく、欠点において成立していたりするからさ。太宰みたいに、とても巨大な欠点と、とても巨大な才能を持った人は、モテざるを得ないわけだよ。

落差なき者、モテの門くぐるべからず
岡 それは、欠点と美点との激しい落差で、モテているんだと思うよね。だって、欠点だけじゃ誰も振り向きはしないから、いいところも当然あると思うんだよ。

小田嶋 それはドメスティック・バイオレンス(DV)のメカニズムと、非常に通じるところがある。女性を殴っちゃうようなタイプの男って、一方で、ものすごく女性に優しいという。相手を散々殴った後に、めちゃめちゃ甘えたり、めちゃめちゃ優しくしたり、と、その落差と幅が我々一般人とは、まるで違うんだ。

岡 いや、俺、女の人を殴ったことなんかないよ。

小田嶋 ないよ、俺だって。

岡 殴られたことはあるけど(笑)。

小田嶋 ・・・。ともかく我々は振れ幅が小さいわけだ。相手に優しいときでも、せいぜいほんの少しにこっとする程度だし。でもDVのやつらは、冷たいときは悪鬼のように冷酷で、相手の貯金を全部下ろして使っちゃうようなひどいことをする。だけど謝るときは、地にひれ伏して謝っている、と。ジェットコースターみたいな恋愛をしたい女性は、そういうやつに引っ掛かって、やがて共依存に陥っていくという。太宰って、そういうところがあるじゃん。

岡 あるね。

小田嶋 実際、女性と心中未遂を繰り返すようなひどいことをしていて、自分だけ生き残ったりもして、おそらく殴ってもいる。『ヴィヨンの妻』なんかにも、殴った殴らないの記述があるっちゃあるでしょう。だけど優しいときは、おそらく我々の100倍ぐらい優しかったんだよ、きっと。

―― 芸能人のカップルにもよく見られますよね。

岡 最低だね。

それを言われたら降りますか?
小田嶋 でも女性にとって、恋愛が何かスリリングなものであってほしいということであれば、ちょっとだけ優しくて、時々むっとしているぐらいの、スリルのない男よりは、烈火のように怒ったり、べたべたに甘かったりの二極が激しい方が、きっと楽しい。

岡 でもスリルを求めるといっても、多くの場合、女性はさっさと去っていくよね。俺、それが怖くて、威張ることなんて、できないですからね(笑)。

―― 当たり前です。

岡 当たり前ですね。当然去っていきますよね。

小田嶋 車から降りろよ、と言ったぐらいのことで去っていくんだよ。

岡 お前、そんなことを言ったの?

小田嶋 二度と電話に出なくなるもんね。

―― それはいつ言ったの?

小田嶋 いや、ちょっとカッとしただけなのにな、という感じがあるじゃない。本当に降りちゃうとは思わないじゃない。

岡 ・・・。

小田嶋 でも、ああ、降りちゃった、ということになるじゃない。で、うわあ・・・どうしよう・・・と思って、電話したら出ないとか、そういう別れってあるよね。でも、もっとひどいことをしている人がいるのにさ。

岡 しかも、それでモテているのに。

―― だって、戻って、どうするの?

小田嶋 いや、別に俺だって、てめえなんか降りろ、とすごんだわけじゃないんです。嫌なら降りれば? という程度のことを言っただけなんですけど。どうして降りちゃうの?

―― さて、ここでもう1回、お2人の「青春の5冊」をご紹介しておきましょう。

小田嶋 あ、話の腰をばしんと・・・。

○岡 康道さんの5冊(順不同)

『長いお別れ』 レイモンド・チャンドラー

邪宗門』 高橋和巳

『斜陽』 太宰治

『されど われらが日々――』 柴田翔

『絢爛たる影絵―小津安二郎』 高橋治
○小田嶋 隆さんの5冊(順不同)

車輪の下』 ヘルマン・ヘッセ

『素晴らしいアメリカ野球』 フィリップ・ロス

仮面の告白』 三島由紀夫

ヒューマン・ファクター』 グレアム・グリーン

百年の孤独』 ガルシア・マルケス

―― 小田嶋さんはどうして太宰治を「5冊」に入れなかったんですか。

小田嶋 やっぱり、ある時期から嫌な影響を受け過ぎたので、恥ずかしい。認めるのは認めざるを得ないんだけど、ただ、太宰が好きな人なんだと思われることの面倒くささが、自分の中で屈折しているんです。

岡 僕だってそうですよ。太宰が好きだと正直に言い始めたのは最近です。若いときは言えない。

今で言う「聖地巡礼」ですね

小田嶋 お前は隠れて桜桃忌にも行っちゃっていたから。しょうがないよね。

岡 高校生のときに2回、行っちゃっているからね。その日は朝から禅林寺(注・太宰治のお墓があります)がある三鷹方面に行って、三鷹の図書館で太宰をもう1回読んで、自分の中で雰囲気を高めてから、夕方の桜桃忌に向かう、みたいな。もう正気とは思えないわけ。

小田嶋 三島由紀夫を好きだとカムアウトすることだって、相当恥ずかしいんだけど、でも、三島は5冊に挙げることができるんだよ。『仮面の告白』は、同性愛者の男の内面告白なんだけど、「私は無益で精巧な一個の逆説だ。この小説はその生理学的証明である」という自己解題にしびれた。小説としては破綻だらけなんだけど。

岡 三島の短編で、剣道部の夏の合宿の話が僕には印象深い。合宿で誰かがルールを破って、そのために主将が自決するという話だったと記憶しているんだけど、それが不思議と美しい話だった。そういう感想を表に出すことにも、かなり抑圧はかかったんだけど、太宰とチャンドラーが好きだということは、さらに高校生当時は言えなかった。

小田嶋 チャンドラーは、岡が読んでいるのは全然知らないで、大学に入ってから読んだ。大学3年生ぐらいのときだから20歳だよね。そりゃ17歳では、かっけえ〜、と素直に口に出せないだろうけど。

岡 何しろ、孤独といい女と強い酒。友情と煙草、だからね。大人になるのが恐くなくなった。だけど、そんなことは人には言えないよ。恥ずかしい話だけど、10代の頃は、自分は知的な、ある種、抽象性の高いものごとにしか影響を受けない、と自己設定してたから。
(略)

小田嶋 俺も漱石は比較的好きだった。だけど、漱石が好きだ、というのは何かカッコよくない気がしていた。

岡 何で? 優等生っぽいから?

彼女は幻想であってほしい、というかそうに違いない

小田嶋 優等生っぽいからではなくて、たぶん大衆小説っぽく思えたからだろうね。だって面白すぎるから。昔の大家の中で、漱石は唯一、ユーモアのある作家なのよ。どんな難しいテーマでも、読む者をにやっとさせるようなところがあった。読んでる自分がにやっ、としてしまうところに、ちょっとコンプレックスを感じたのかもしれない。これが歐外になると、面白さのかけらもないんだけど。

岡 だけど留学中に女を作ったりしたのは歐外の方だよね。漱石胃潰瘍が痛くて、それどころじゃなかった。

小田嶋 人間的には漱石の方が気が小さくて、被害妄想で恐妻家で、と、およそ冴えないんだけど。

岡 歐外は軍医で、小説家で、女ったらしでしょう。

小田嶋 ドイツでドイツ娘をころがして帰ってきました、というところの話だからね(注:森歐外『舞姫』のこと)。

岡 でも、あのエリスとか、本当かよ、って思うよね(注:エリス=『舞姫』のモデルとなったベルリンの踊り子。留学時代の歐外の恋人だった「エリス」は、彼女を捨てて日本に帰国した歐外を追って来日した)。

小田嶋 いや、あんなのは幻想だと思うよ。

岡 そうだよね。幻想、幻想。

―― 娘で随筆家だった森茉莉によると、歐外は大変な色男だったとか。

小田嶋 それは娘が言うことだからね。真に受けてはだめですよ。だいたいドイツ人の女が、日本の男を追ってくるなんて話はありなんだろうか。いくら小説だからって、それは無理をしてるでしょう。

岡 そうだよ。あんなのは妄想。妄想だよ。

―― なるほど、人がモテている話は「妄想であってほしい」と。いろいろ出ましたが、結局、問題意識は「他人のモテ」に行き付くんですね。