葬られた王朝―古代出雲の謎を解く

[rakuten:book:13615453:detail]
    
さて、最後は大御所(笑)梅チャンです。
数日前日経新聞で「スサノオは韓国から来た」と飛ばしていたが、肝心の著作ではその辺は曖昧にしていた。
出雲王朝が日本を作ったという趣旨なんだが、その辺はある程度漏れも同意する。
つか日本書紀だって古事記だって出雲神が国造りしてその後皇祖に譲るというのはハッキリ書かれているよね。
謎でも秘密でもない。
それに神社マニアにとっては全国どこでもスサノオ社・オオクニ社や諏訪神社といった出雲系がベースだということは基本中の基本。
天照大神の神社は特別なのよ。
そんなこと大仰に言われても、なにを今更の感。
問題はその事実とヤマト朝廷の関係を整合的に説明するかなのに、ぜんぜんなっていない。
単なるエッセイ。
  
そりゃ折角功成り名を遂げた今、江上センセの「騎馬民族征服説」の二の舞は避けたいでしょうけどね。(^^)
だが、この本は別の意味でとても欲しくなったのだった。
なぜなら出雲系神社のとても良いガイドブックになっているからだ。
カラーの挿入写真が綺麗で豊富でとても良い。
わざわざ梅チャンとカメラマンと編集者が訪ねて撮り下ろしたらしい。
恵まれた仕事しているな梅チャン!
日経新聞土曜版の温泉教授の次くらいに羨ましい(笑)
     

日中韓賢人会議が開幕 経産相「温暖化対策で連携を」
2010/4/18 20:54
http://www.nikkei.com/news/headline/related-article/g=96958A9C93819481E3EAE2E3938DE3EAE2E6E0E2E3E29797EAE2E2E2;bm=96958A9C9381959FE3EAE2E3E78DE3EAE2E6E0E2E3E2E2E2E2E2E2E2
  
 日中韓の経済、政治、学術分野の有識者が協力関係などを議論する第5回「日中韓賢人会議」(日本経済新聞社、中国・新華社、韓国・中央日報主催)が18日夜開幕し、奈良市内のホテルで歓迎晩さん会を開いた。あいさつした直嶋正行経済産業相は、国際社会で存在感を増す日中韓が温暖化ガス削減の枠組みづくりでも連携を進めるように提唱。3カ国の環境関連技術の標準化へ議論を深める考えを示した。
 
 経産相は今回の賢人会議のテーマが「変わる世界と日中韓の役割」であることに触れ「人類共通の課題である温暖化ガス削減の枠組みづくりの面でも3カ国が連携してさらに大きな役割を果たすことができる」と主張。19日から始まる本格的な議論で、環境問題を中心に幅広い意見交換が進むように求めた。日中韓で開発、実用化が進む環境関連技術を普及させる必要があるとも指摘した。
 
 平城遷都1300年記念事業の一環として奈良で開いた会議について、日本団長の中曽根康弘元首相は「大変意義のあること」と強調。日本経済新聞社の杉田亮毅会長は「最近は世界で北東アジアの比重が飛躍的に高まってきている」と話した。

[庚戌国辱100年紙上座談会・上]韓日元老6人が100年を論ずる
2010.04.10 中央日報
  
◇古代からの韓日交流史

−−韓国と日本は古代からさまざまな交流をしてきた。 お互いどんな影響を及ぼし合いながら現在の社会文化を形成してきたと考えるか。

梅原猛=中国の先進文化は韓国を経由して日本に入った。 私は今月、『葬られた王朝―古代出雲の謎を解く』という本を出すが、出雲王朝の創立者は韓国から来たと考えている。 『日本書紀』に多くの文書があるが、そのうち3つの文書は‘韓国系’と把握している。 これは新しい考えだ。 弥生(BC200−AD300)時代には日本海(東海の日本式表現)側が日本の中心部だった。 したがって越の国、今の新潟県から移ってきた国が出雲を支配していたが、韓国から来たスサノオ(日本神話の人物)が出雲を越の国の支配から独立させた。 出雲王朝の創立者は韓国系と考える。 その証拠に出雲王朝の遺跡から銅鐸が出てきた。 大和王朝の鏡に代わるものだ。 銅鐸の起源は韓国の貴族が双頭馬車に付けて入った鈴だ。 (神話に出てくる)スサノオが韓国から渡ってきたとする説はますます有力になっている。 新しい日韓関係を見せてくれる。 韓国にまた注目しなければならない。 古代日本にとって韓国は文明国であったし、さまざまな文化を伝えてくれた恩人だった。

朴泰俊(パク・テジュン)=古代韓国は日本に文明を伝授した。 ポスコがある迎日湾の村には、『三国遺事(サムグクユサ)』に記録されている新羅時代の「延烏郎細烏女」という夫婦の話が伝えられている。 この夫婦が日本に‘太陽と月’(光)を伝え、王と王妃に推戴されたという話だ。 ‘光’は文明を意味する。 1973年に迎日湾には日本の協力で新しい‘光’が誕生した。 溶鉱炉の光、すなわち浦項製鉄だった。 迎日湾を背景に両国間でやり取りした‘光’の話は、両国関係の未来を照らす灯火と考えてもよい。 韓日間には日本の侵略と植民地という痛ましい歴史もあったが、お互い助け合いながら発展した時期も多かった。

三村明夫=日韓関係はどちらかが一方的に知識を伝えたわけではない。 韓国と日本がお互い優れた時代があり、自然に文化・技術などが伝えられる関係だった。 鉄の場合、4−6世紀に百済から福岡、新羅から出雲、高句麗から敦賀に「たたら製鉄」が伝わった。 砂鉄を使用し、木炭を入れて作る技術だ。 逆に1968年には、韓国に浦項製鉄が設立された時、日本の八幡製鉄、富士製鉄、日本鋼管の3社が積極的に支援した。 日本が恩を返したのだ。 八幡と富士は合併して新日本製鉄になった。

李御寧(イ・オリョン)=宗教・文化面では儒・仏・仙が融合して調和を作り出し、お互い深い影響を及ぼし合った。 軍事・経済面では韓国は海洋勢力と大陸勢力の挟み撃ちを受けたが、かえって強力な民族意識と生存の知恵、強靭さを作りだした。
  
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=128246&servcode=A00