それは幻想です。鳩山「東アジア共同体」

   
中国はいまさら戦争なんてしない。
正規戦なぞ下策だ。
中国の最大の武器は人口だ。
余剰人口を世界中に棄民し、華僑・華人ネットワークで繋ぎ、覇権を握る。
これが上策である。
だから大声では移民を語らない。あくまでジワジワと気がつくと中華系住民が増えているように。
しかしヘタレニッポンマスゴミは中国様の逆鱗に触れるこの話題を絶対に語らない。
なにしろ、「戦争被害者」である中国人様の人権問題に関わるからね(笑)
レイシストと疑われたらサヨクマスゴミ生活共同体で村八分にあうかもしらんし。
 
しかしそれを真正面から語っている論説が日経系メディアに載っていて驚いた。
吉田鈴香さんってウヨクというより国際派なんだな。
漏れもアジア事情には若干詳しいのでよくわかる。
この中国移民を怖れる心理ってASEAN共通だもの。
しかし、言いにくいことを業界のお約束を乗り越えて発言する勇気あるジャーナリストって海外経験の長い女性ばかりだね。
男は会社がかりで海外駐在したのが関の山のマスゴミサラリーマンばっかりだもんな〜(嘆)
       

それは幻想です。鳩山「東アジア共同体
民主党新人議員は早く目を覚ました方がいい
日経ビジネス on Line 2009年12月28日(月)

吉田鈴香
  
 すでに政権交代から100日が経った。当初の国民の熱気もかなり冷めた。その原因は、民主党でも景気後退でもなく、もちろん鳩山首相自身にあることを国民は気づきつつある。
  
 それでは、その鳩山首相の政治方針を生んでいる思想とは、何か。年末にもう1度振り返って、新しい年を迎えたい。
  
 首相の政治思想をもっともよく著しているのは、就任前の8月10日にホームページで発表した「私の政治哲学」である。ニューヨーク・タイムズ紙に寄稿した鳩山論文の元原稿でもある。これを再度よく読み込み、鳩山政権が何たるかを考えよう。
  
通貨統合が目標、でも経済政策に言及なし
  
 改めて鳩山論文を読んでみると、次のような言葉が並ぶ。
  
「経済協力と安全保障の枠組み」
「経済協力と安全保障のルール」
「地域的な通貨統合、『アジア共通通貨』の実現を目標として」
「今回の世界金融危機後の対応も、従来の国際通貨基金IMF)、世界銀行体制の単なる補強だけではなく」
「アジア共通通貨の実現には今後10年以上の歳月を要するだろう。それが政治的統合をもたらすまでには、さらなる歳月が必要であろう」
  
 つまり、構想で現実的に目標とされているのは、「アジア共通通貨」である。東アジア共同体とは、「アジア共通通貨」を持つ共同体のことであるかのようだ。
  
 しかし、共通通貨は、自由経済が担保され、一定の政治枠組みの下に中央銀行を共有する仕組みを確立した国家間から生まれてくる議論である。経済連携協定EPA)も自由貿易協定(FTA)も確立されていないアジア諸国と交わす議論ではない。
  
 なぜ、域内自由貿易とか、自由な熟練労働力移動とか、企業の自由な活動とか、共通の金融市場とか、政治的な利害調整のメカニズムとか、安全保障とかを言わないのだろうか。不思議である。
  
 これらのステップがすべて無視されて中抜きになったまま、「共通通貨」だけが目標とされている。
  
共同体と言うなら「人の移動」が肝要
  
 EUの例を見れば分かるように、共通通貨を検討する前に、域内で整っているべきことは、東アジア共同体における(少なくとも域内の)自由貿易体制、金融サービスや熟練労働移動も含む財・サービスの自由な往来、政治的な調整のメカニズム、そして、北大西洋条約機構NATO)のような安全保障のメカニズムである。
  
 言い換えると、農業の共通市場化、エネルギー(鉄鋼石と石炭)の融通、域内運輸インフラの整備、熟練労働市場の開放、金融市場の共通化などの幅広い政治経済での共通メカニズムの存在である。
  
 特に、重要かつ、微妙な問題をはらむのは、人、とくに非熟練労働力の移動である。
  
東アジア共同体構想の対象国とは、ASEAN諸国と日中韓(印豪ニュージーランドも含む場合も)だが、中でもASEANでは、外国人参政権はもとより、非熟練労働力の流入を厳しく制限している。
 
 その理由は、ASEAN各国は中国との葛藤の歴史を持っており、中国人、インド人の移入を大いに恐れているからだ。中国の人口は13億人強、ASEANは6億人強。中国は2倍以上もあるのである。
 
 人の移動の解禁は、中国にとっては、国内で年々高まる人口圧力を一気にASEAN諸国に振り向ける好機だ。
 
 他方のASEAN諸国にとっては、それは、瞬く間に豊富で安価の非熟練中国人労働者が大量に流れ込み、自国内に大量の失業者を生んでしまうことにほかならない。つまり、政情不安を生んでしまうのである。
 
 それゆえに、マレーシアではブミプトラ政策(マレー人優遇の国策)が生まれ、インドネシアでは長年漢字の使用が禁止され、国境を接するラオスなどは国境警備を強化する体制を生んできた。
 
チベットウイグルで何が起こった
 
 中国の脅威とは、安全保障上の脅威、すなわち侵略と言うよりも、人の移動によって国が実質的に支配される可能性である。
 
 ASEAN諸国はチベットウイグルで何が起こったか、身をもって知っている。国名も国境線も同じまま、国民の多数派が中国人にシフトする恐ろしさ。共同体を築こうというのならば、アジア諸国の懸念をきちんと理解してやらねばならない。
 
 国連開発計画(UNDP)は、今年、人間開発報告書のテーマを「人の移動と開発」に置いた。移民労働者が先進国へと流れ、人間開発指標を向上させたり、受入国のGDP向上に貢献したり、送金などによって家計、国家・地域、社会の各レベルでよい影響を与えていると報告している。
 
 しかし、これらは、低開発国から先進国に渡った貧困層の変化であり、途上国間の動きではない。
 
 南米南部共同市場(MERCOSUR)での移動は既に動き出している。湾岸諸国と南アジアが参加するコロンボプロセス、アブダビ・ダイヤログは2008年1月に始まったばかりで、まだ協議の段階だ。
 
経験豊富なASEANが中心。中国ではない
 
 鳩山「東アジア共同体構想」のもう1つの事実認識の間違いは、鳩山首相が、東アジア共同体の中心を中国と想定しているらしいことにある。
 
 論文の中では頻繁に「中国」が登場するが、既にASEAN共同体の設立を視野に入れ、本来東アジア共同体の中心となるべきASEANが登場しない。
 
 それは、鳩山首相(または、鳩山論文ゴーストライター)が中国だけを東アジア共同体の鍵として見ていることの表れであり、ほかの東アジア共同体諸国の意思を省みていないところにある。
   
すなわち、中国さえ同意させてしまえば、ASEAN諸国、韓国などはついてくると思っているのである。そんなことはない。日本政府はいまだに、長年の懸案である日韓FTA/EPAすら締結できていない。
 
 その韓国では、あの反米的であった前政権において国内の反対勢力を抑えつつ米国とのFTAを締結した。方や、鳩山首相FTAについて、(兼業)農民票欲しさに選挙中にトーンダウンし、政権交代後は議論すらしていない。
 
 そもそも、コメの輸入自由化を進めるために、農家の戸別所得補償の仕組みを導入するのではなかったか。民主党マニフェストがご都合主義によっていかにでもなることは、すでに国民が熟知するところである。
 
「痛み」と「努力」が欠落した鳩山論文
 
 ASEAN諸国は、政治的中立を互いに取ることで枠組みを維持してきた。共通の安全保障のメカニズムは議論の過程である。
 
 最も進んだASEANですら2015年に向けて努力しているところなのである。まして、東アジア共同体の諸国が具体的ステップを一つひとつ進めてゆくことには、政治的に大変な努力と痛みが伴う。
 
 それは、域内自由貿易、金融市場の監督・規制メカニズム、エネルギーや環境協力、政治的な利害調整のメカニズム、安全保障などである。通貨統合の前に国内反対勢力を抑えて果たさねばならない事柄だ。
 
 国民国家を束ねて共同体を形成するとは、それだけ大変なことなのにもかかわらず、鳩山論文には、その「痛み」と「努力」の部分がまったく欠落している。
 
 推測するに、この論文の第1稿には、経済圏の統一を実現させるメカニズムについての記述がある程度含まれていたのではなかろうか。
 
 しかし、この論文を推敲する段階で、党内の誰か(組合?)のチェックが入り、支持母体の主張と相容れない内容、すなわち「努力」と「痛み」の部分が論文から削除されたのかもしれない。
 
 そうして、残ったのが、「通貨統合」だけになってしまった…。あたかも、望めば明日にでもできるかのような、気軽な書きぶりであった。
 
 首相の発言に一貫性がないのは、連立与党や支持母体の要求を拒むことができないからである。八方美人で、耳あたりのよいことしか言えないのである。
 
 鳩山首相は、政権を手に入れるかわりに、自分の政治哲学を売ってしまったのだとするなら、それこそ「鳩山首相の「東アジア共同体」なんて、口ばかり」である。
 
10年も前の構想に自分の趣味をこじつけただけ
 
 私は、「東アジア共同体」の実現は、十分に国家目標たると考えている。大変な努力と痛みは伴うものの、これこそが日本の進む道であると思っている。しかし、それは、経済の一手段でしかない共通通貨実現を最終目標とした鳩山「東アジア共同体」ではない。
 
 鳩山論文に驚いた人々は国内外で多いようだが、実は、この構想、日本政府が90年代後半のアジア危機以降、経済効果など検討し、着々と準備を進めていたものなのである。
 
 「東アジア共同体」という概念を公式に国際社会に対して提唱したのは小泉純一郎首相(当時)である。
 
鳩山首相のそれは、オーストリア貴族の名前を使って、「友愛(首相はこれをfraternity(博愛)の訳語としている)」を味付けに使ったところが、特徴であろうか。「持論の『友愛』精神から導かれる国家目標として『東アジア共同体』創設を提唱した」と記述している。
 
 それほど国民に浸透していなかった「東アジア共同体」構想であるから、鳩山首相がこれを親族の貴族趣味の象徴たる「友愛」(この言葉が嫌いな国民はかなり多いように思う)に強引にこじつけ、あたかも自分が創始者であるかのごとく振舞っていることに気がついた人は、多くなかったのかもしれない。
 
薄っぺらな政治哲学まで、謝れば済むのか
 
 では、従来からある「東アジア共同体」構想とはどんなものか。
 
 いわゆる「官僚」であるところの外務・財務・経済産業の各省とも、有識者、政治家を入れて東アジアでの自由貿易圏、広域市場、通貨協力などの枠組みを90年代後半より、さまざまな経済効果などの試算を行いつつ、着実に作り上げてきている。
 
 「東アジア共同体」の費用対効果、すなわち、「東アジア共同体」の経済効果が「努力」と「痛み」による国民負担を上回るかどうかの試算をしない構想は、検討にすら値しない。
 
 鳩山首相は自らの権力奪取のために「東アジア共同体」構想を書き、政権を取ればもうそれでおしまいにした。残念ながら民主党や連立政権の中には、前世紀の残滓とでもいうべき反米的思想を頑迷に持ち続ける人々がいるようだ。「東アジア共同体」は、そのような人々の思想を貴族趣味とともに換言するための単なる方便に使われてしまった。大切な国家目標、いや、東アジア地域の目標だというのに、である。あまりに奇妙な“政治哲学”であるため、有権者は本気に捉えてこなかったのかもしれないが。
 
 地域主権なんてどうでもいい。普天間基地移転問題も後回しで、任期中に片をつけるつもりもない。暫定税率の維持は謝れば済む…。それはそうなのかもしれない。しかし、自分の薄っぺらな政治哲学まで、謝れば済むのだろうか。
 
 鳩山首相の目標は、政権をとること自体にあった。選挙期間中に民主党マニフェストの表紙にあった「政権交代。」の「。」とは何なのか、と世間ではいわれていた。そうか、これは「政権とったらそれでおしまい、マル!」の意味であったと、今気づいた。
 
 国民は、中身のない、幻想に振り回されている。おそらく、一番「だまされた」と思っているのは、民主党新人議員かもしれない。
 
 しかり。民主党新人議員よ、皆さん方は間違いなく、鳩山首相が創作した幻想にだまされたのである。一刻も早く目覚めることを願う。