三一事件

   

    
これは”日帝の悪事が確認できた”という記事ではないのだ。”日帝の対応は理性的だった”という話なのだ。
三一事件では、放火や殺人、略奪は厳しく罰せられたが、単なる政治的主張は寛容に処置された。
独立運動の指導者たちでも最大2年程度の懲役で、釈放後は親日派に転向するものが多かった。
この事実は以前から研究者の間で知られていたが、「独立運動は残虐に弾圧された」というデマゴギーと背反するため韓国内では報道できなかった。
なのに、今頃になって、事実を公表したというのがミソなのである。
ひとつには李明博政権の親日政策があり、もっと直接には世界金融危機での日本へのアピールだろう。
   

朝鮮民族の義務として万歳を叫んだ」
   
最高裁日帝時代の判決録のハングル翻訳本を公開
    
起訴された3・1独立運動参加者ら、堂々と正当性を主張
   
銃剣による鎮圧の真相も明らかに
    
 「何かをなくしてしまったら、小さなものでもまた何かを探そうというのが人の常だ。4000年余りの歴史を持つ天下無双の祖国を失い、平和そうな顔をしているのは誰か…皆が独立万歳を叫ぶ時、どうして一人黙っていられようか」
     
 日帝強占期の1919年、3・1独立運動に参加して海州地方法院(地方裁判所)に起訴され懲役5年を宣告されたイ・チャンウンは、朝鮮総督府高等法院(現在の大法院、日本の最高裁判所に相当)に上告し、3・1運動の正当性を堂々と主張した。
     
 大法院は9日、日帝時代の『朝鮮高等法院判決録』(以下、判決録)第5巻・第6巻のハングル翻訳本を公開した。中でも刑事判決録第6巻には、3・1運動参加者らの生々しい裁判記録が含まれており、当時の朝鮮民族の気性を垣間見ることができる。
     
◆「3・1運動は朝鮮人の義務」
     
 全国各地で3・1運動に参加し裁判に付された一般の朝鮮人らは、「朝鮮が独立したという話に喜んで万歳を叫んだ」「単なる参加者なのに刑が重い」というような抗弁をしつつも、独立に対する熱望を隠さなかった。
      
 騒乱及び保安法違反の疑いで咸興地方法院に起訴されたソ・イングクとチュ・ジョンヒョクは、「朝鮮民族として人倫正義に期する意思の発動で、犯罪にはならない」と無罪を主張した。彼らは「3月1日、朝鮮民族代表33人の独立宣言を聞き、既に独立が確定した以上、朝鮮民族の義務として祝賀の意をもって万歳を叫んだ」とも語った。
       
 大邱の覆審法院(高等裁判所)で懲役6月を宣告され上告したアン・ギョンスも、「今回わが韓国の独立に対し喜んで祝賀の万歳を叫んだだけで、法に抵触する行動を取った事実はない」という上告理由書を提出した。共に裁判を受けたカン・ハクポンは、「朝鮮民族として、朝鮮が独立したと言ったのだから、保安法に違反するものではない」と抗弁した。
       
 光州地方法院で起訴されたファン・サンホは、「朝鮮人が朝鮮のために努力することを有罪だというのなら、この世の中に生きる誰が無罪になるのか」と、処罰の不当性を主張した。
     
◆強圧的な鎮圧と捜査
     
 日帝が3・1運動を無慈悲に鎮圧し捜査したことも、判決文から確認できた。
    
 光州で起訴されたキム・ソンジェは、「父親が万歳を叫び銃傷を負ったという知らせを聞き、現場に向かったところ、警戒中の軍人がわたしの腰を剣で刺し、病院に運ばれた。なのに憲兵隊や法院では、父子で万歳を叫ぶことを共謀したとし、有罪を言い渡した」と抗弁した。
     
 大邱で万歳の場面を見守っていただけだというパク・ムニョンは、警官が大声を上げながら殴打するためうその自白をし、懲役6月を宣告された、と主張した。
      
 京城(ソウル)地方法院で起訴されたチェ・ジョンソンは、「いかなる罪もないにもかかわらず、警察署で強制的に尋問され有罪宣告を下されたのは、悔しくてならない」として上告した。
     
◆ごく少数ながら合理的な判決も
     
 その一方で、ごく少数ながら、当時の判決の中には一部合理的な側面もあった、というのが翻訳を担当した大法院図書館側の説明だ。1919年4月1日、開城で万歳運動を主導した14人に対し、内乱罪は成立しないとした判決がその例だ。「被告人らの行動は、朝鮮を独立させる希望があることを世上一般に宣言する内容に過ぎない」ため、内乱罪不成立というわけだ。
     
 全羅南道康津地域で独立宣言文を印刷するなど、万歳運動を準備したが決行前日に検挙された学生らに対しては、一地方の平穏を害するほどの行為ではないなどの理由で、無罪が宣告された。また、万歳運動後に連行された仲間を取り戻そうと警察署を包囲、脅迫した事案について、連行者に対する令状はなく拘禁状態だったとして、犯人奪取罪の対象とはならない、と判示した例もあった。
       
 これについて大法院の関係者は、「日帝が本格的に軍国主義化する直前の時期で、少数ながらそうした判決が出たようだ」と語った。
      
崔宰赫(チェ・ジェヒョク)記者
朝鮮日報朝鮮日報日本語版
http://www.chosunonline.com/article/20081116000001