シナ文明圏とは淡交で (兵藤二十八)

これって西岡力さんが在日朝鮮人の増大に応じて大陸風の贈賄文化が急速に日本に広まったと書いていたのを思い起こすなあ・・・
 

シナ文明(それには韓国も包摂される)のおそるべきソフト・パワーとは、ハイテク兵器のようなハード・パワーとは無関係な、社会的な破壊力である。
(略)
戦前、シナ人の商人が自由に才能を発揮して稼ぎたいと志したなら、欧米先進国か、さもなくば上海の「共同租界」へ移り住むしかなかった。彼らは「法の下の平等」が既に実現されている社会、すなわち自他の自由が真っ当に尊重される近代空間へ、マイノリティとして入り込んだときにだけ、自己を実現できた。しかしその空間のシナ人が一定割合を超えると、やがて他者の自由を尊重しないシナ流の反近代ルールが蔓延し、ソーシャル・キャピタルは融けて無くなり、次世代の有為のシナ人が窒息させられる。「中国人が一番嫌いなのは中国人」と別宮暖朗氏が指摘したのは、そんな意味だろう。
[p48]

法の下の平等」=「他者の自由の尊重」の慣行的ルールが定着していないような文明圏(筆頭はシナ文明圏)からの有意数の移民を受け入れることは、ホスト国の、近代に近親なソーシャル・キャピタル(=ウィンブルドン)を木っ端微塵に破壊する早道となる。英国経済は八○年代から移民を減らした(ハンチントン前掲書)からこそ浮上したのだ。
 アメリカは偉大な例外だろうか?愚生のみるところ、八○年以降のアメリカ社会が極端な個人間の所得格差を受け入れねばならなかった理由は、異文明系国民の増加と裏表の関係にある。異文明系国民の活力を国権のために一方的に役立て、それでいて、決して彼らをして国家を弱体化させたり分裂させたりする政治力をもたせぬように計るためには、国家指導層とスーパー・リッチ層を物理的に一致させる必要があったのだ。(略)
 アメリカ式の格差社会を日本人が歓迎する気がないのなら、日本社会はシナ文明に属する住民を多く抱え込むべきではない。それは日本人から自由と平等を奪うだけだろう。
[p49]