やさしい経済学−21世紀と文明 危機を越えて(日経1月14日日刊18面)

    
?日本の自覚と実践 文化庁長官 青木保
 

ただし、そのなかで意識して自らが達成した高度の文明を誇り、その使命を世界に向けて表明し、求心的に文明圏を形成しようと活動してきたのは、「西欧・アメリカ文明」ぐらいである。(略)他の文明には、そのような自覚的かつ意識的な動きは存在しないといってよい。ここに、近年日本でも議論が盛んな「東アジア共同体」の本質的な問題を見いだすことができる。それを創るという求心的な核となる「文明意識」が欠けていては、新たな組織を設けても、それはとうてい目先の利害調整機関の域を出ない。
(略)
日本人は、はっきりと「日本文明」を意識して福沢諭吉が説いたような「文明」の理想状態へ達する努力を重ねながら、全体文明が孕む危機を解決するために全力を尽くすべきである。

   
青木保さんは昔タイで出家した文化人類学者だ。まず偏見なくその世界を体験すること、そうしながらも全人類史的な意味を捉えようとすること。この2点のダイナミズムがかっこよくて、むかしからなんとなく尊敬していた。その青木さんも今年70歳なんだよなあ。そのご託宣は相変わらず鋭い。
結局東アジア文明っていう共通したものはないのだ。あったのは東アジアの軍事支配者による排外的位階秩序意識だけだった。儒教は文明のコアではない。エリートの建前論にすぎず、庶民には関係のない。だからといって中華意識を東アジア共同体のコアに据えることは誰にとっても不幸なことだ。(ちなみに朝鮮人が唱える東アジア共同体ってのは、単に朝鮮安全保障にすぎないので無意味。あ、あとそれにクリオールである在日朝鮮人の自我救済思想なんだけど。)
漏れはアジアは原始タオイズム的世界観を復興しつつのユルユルまったり連邦が良いと思うんだけどねえ。日本はそもそも東アジアべったりじゃなくて、東南アジアとも繋がった文明だと思うし。
    

著者は原始仏教に近いタイを訪れ殆どのタイ人が熱心な仏教徒でありながら涅槃というブッダの救済を望まず僧侶に功徳を積むとか一時出家する事で功徳を積みそれで楽園に生まれ変わってまたただの人間をやりたいと望むと言う。この仏教的救済の二重構造をつくったが故に原始に近い形が保持される。ただ著者は人間の生きる欲望をなくす事が救いだとするブッダの救済論は人間存在への痛烈な皮肉であると投げかける。