世界観

    
世界観とは大げさなものではなく、人が自然に持っている日常や
 
思えば子供の頃、素朴で確実な世界観を持っていた。だからその空間で自由に動けた。
大人になるに従い、素朴な世界観では処理できない事象が増えていった。
やがて
 
そして一旦はマルクス主義的世界観で再度世界を取り戻した気がした。
しかしそれは共産主義国の崩壊と膨大に暴露噴出した共産主義の悪行で
 
それからの20年間はずっと世界観を模索していた日々だった気がする。
それほど世界観は切実に必要な地図であり、
それを見失った日々はまさに地獄の季節だった。
どう行動すればいいかわからず、見知らぬ国に迷い込んだエトランジェの気分で、
いつもオドオドビクビクしていた。
なにひとつ強く主張できない。
 
それがつい先日の日本古代史の目処がついたあたりから
次々ときれいに結晶化していくような気がしている。
 
あの20歳のときに広々した寮の部屋でただ一人ぼんやり窓外の緑の午前中の光線を眺めながら
「おまえは世界を知ることを優先するのか?それとも、世界でうまくやってゆくことを優先するのか?」
という悪魔の問いかけに「知ること」とこたえて以来、
僕は生活を生きてはいなかった。ただ知識を徘徊し惑っていた年月だった。
   
やっと外に出られるのだろうか?