景観シンポジウム

   
今日の読売新聞に見開きでシンポジウムの記事が出ていた。
こまかいところは忘れたが、京都に住む外国人(欧米人)が
「京都の街に景観作りの哲学がない。寺社の写真をとろうとしても電線だらけ。
 景観条例だってやっとできたばかり。京都の歴史と伝統を否定する京都駅ビルを建てたりする。
 外国人が期待してやってきて最初に見るのはサラ金の看板だ。」
と言っていた。
完全に同感である。
日本人が美意識が高いなんてウソである。
汚い風景不感症になっている。
そして不感症でありながら汚い風景は人間の精神を深いところで汚染してゆく。
  
そしたら最近麻生太郎が伝染地中化を語っているらしい。
江副さんもいっていたし、将来の公共事業で一発都市共同溝を全面展開したらどうだろうか。