ナショナリズムという日本の厄介な問題 ジョンズ・ホプキンズ大学教授 フランシス・フクヤマ

(略)
だが、靖国論争の本質は、靖国神社に合祀されている12人のA級戦犯にあるのではない。真の問題は、神社の隣にある軍事博物館の遊就館にあるのだ。
遊就館に展示されているゼロ戦や戦車、機関銃の脇を通り過ぎて行くと、「太平洋戦争の歴史」について記した文章がある。そこには、日本のナショナリストが主張する次のような趣旨のことが書かれている。
「日本は欧州の植民地主義勢力の犠牲者であり、列強から他のアジア諸国を守ろうとしたにすぎない」
その文章には、日本による朝鮮の植民地支配は、”パートナーシップ”であるとも書かれている。
遊就館に記された主張を、「多元的な民主主義社会に見られる多くの主張の中の一つ」と擁護することも可能かもしれない。しかし日本には、日本の20世紀の歴史に関して、遊就館の主張に代わる見解を提示している博物館はどこにもないのである。
歴代政府は、靖国神社は民間の宗教法人であるとの理由から、遊就館で主張されている歴史見解に対して政府には何ら責任がないと主張してきたが、そうした態度は説得力に欠ける。ドイツと異なり、日本は太平洋戦争に対する自らの責任をまだ認めていない。1995年に社会党(当時)の村山富市首相が中国に対して正式に戦争に関する謝罪を行ったが、日本は責任の程度について国内で真剣な議論を行ってこなかった。そのうえ、日本は、遊就館の歴史説明に代わる説明を広めるという努力も行ってこなかった。
渡辺昇一氏に対し私が感じた疑問
個人的な話をすると、私が日本の右翼と遭遇したのは、90年代始めに、渡辺昇一氏とパネル討論を行ったときだった。渡辺氏は上智大学の教授(当時)で、『「ノー」と言える日本』を書いたナショナリスト石原慎太郎氏の協力者である。討論相手に渡辺氏を選んだのは、拙著『歴史の終わり』の日本版の出版社だった。
何度か渡辺氏に会っているうちに、私は彼が「関東軍が中国から撤退するとき満州の人々は目に涙を浮かべていた」と一般の人々の前で語るのを耳にした。彼によれば、アメリカは非白人を屈服させようとしており、太平洋戦争は詰まるところ人種問題だというのである。要するに、彼はホロコーストユダヤ人虐殺)を否定している人々と同じなのである。
ただ、ドイツのホロコースト否定論者と違うのは、日本には彼の意見に共感する多くの人がいるということだ。事実、私の元には、南京虐殺がいかに大きな欺瞞であるかを説明した本が定期的に送り届けられてくる。さらに、小泉首相靖国参拝を批判する人々が、ナショナリストたちから脅迫されるという事態も起きている。加藤紘一代議士宅への放火はその例の一つだ。ただその一方で、まっとうな保守派である読売新聞は、小泉前首相の靖国参拝を非難し、戦争責任に関する優れた連載記事を掲載している。
ナショナリズムをめぐる、現在の日本の状況は、アメリカを困難な立場に立たせている。
多くのアメリカの戦略家は、日米安全保障条約を拡大し、NATOのような防壁を構築することにより、中国を包囲したいと考えている。事実、アメリカは、冷戦終結の数日前から日本に再軍備を促し、軍事力の保持と交戦を禁止している憲法第9条改正を正式に支持してきた。だが、アメリカはより慎重になる必要がある。極東におけるアメリカ軍駐在の正当性は、日本の自衛機能をアメリカが代行することにある。日本が憲法第9条の改正に踏み切れば、新しいナショナリズムが台頭している今の日本の状況から考えると、日本は実質的にアジア全体から孤立することになるだろう。
憲法9条の改正は、安倍首相の長年の課題の一つである。安倍首相が第9条改正を押し進めるかどうかは、彼がアメリカの友人たちからどんなアドバイスを得るかによって決まるだろう。ブッシュ大統領は、日本のイラク政策支持に対する感謝から生まれた”よき友ジュンイチロウ”に対する配慮から、日本の新しいナショナリズムについて発言するのを控えてきた。しかし、日本がすでに自衛隊の部隊を撤退させていることを考慮すると、いずれブッシュ大統領は、安倍首相に対して率直に物を言うことになるだろう。
[週間東洋経済2007/4/21特大号 118〜119P]