韓国の妄言

韓国の妄言−韓国・朝鮮人はなぜこんなに尊大なのか?

韓国の妄言−韓国・朝鮮人はなぜこんなに尊大なのか?

   
僕は「政治的に正しい」歴史記述が嫌いだ。
差別・偏見を良しとするものではない。しかし歴史は現在の「政治的正しさ」を裏切る赤裸々で受け入れがたい事実に満ちていることに価値があると思う。
関係者に配慮して曖昧に誤魔化した記述は歴史の真実を隠蔽するもので中期的には誰の得にもならない。朝鮮人のためによかれと思い史実の自然な解釈を書き換えるのを良しとするのは、左右が異なるだけで、戦時中に大日本帝国プロパガンダにも手を貸す態度と変わらない。「正しい」政治目的のためには改竄捏造も許されると考える学者は信用できない。そもそも誰かに不都合がないように歴史を書き換えるということは、その誰かを徹底した子供扱いしていることにないか?そんな態度を取られたら却って屈辱じゃないのか?
まずは事実を見せろ!解釈はそのあとだ!と思っている。
     
ところで歴史認識では「本当は誇らしい○○人の歴史」というのを持て囃すのが最近の良心的知識人の役割らしい。だが、もし「本当は誇らしい歴史」なるものがなかったらどうなるのだろう?と良く思う。
捏造してまで「誇らしい歴史」とするのが良心的なのか?苦しくても残酷でも事実を指摘するのが良心的なのか?
漏れは躊躇無く本当のことを知りたい。
だが、朝鮮人はどうだろう?
まさにそれが朝鮮史の大問題なのだ。
   
漏れは韓国人が「歴史認識」で騒いでいても腹が立たない。はっきり言って「正解を知っている人間が間違っている人間を眺める」という態度になっている。こう断言してしまうといかにも傲慢だし、勿論漏れだって間違うことは多々あるけれど、韓国人の論難のレベルは低すぎるので全然揺らがないのだ。
逆に良く思うのは、いまは韓国人は「韓国国定史観」を信じ続けるだろうけれど、この言論の自由と情報化の時代、やがて少しづつ自分の歴史認識に疑問を持ち始め、真相に気付くときが来る。そのとき彼らはどうアイデンティティを救うのだろうか?ということだ。実はこれは漏れ自身の苦い経験からそう思うのだ。というのは漏れは子供の頃「史的唯物論」でガチガチにアイデンティティ武装していたが、ソ連が崩壊して苦節15年も苦しみ抜いた経緯があるからだ。日本の戦後の敗戦アパシーのような状況が生まれないだろうか?漏れは本気で「韓国」は滅んでしまわないかとすら心配している。
「韓国」「北朝鮮」というのは実はできたての国だ。存立基盤は脆い。それを救うためにどちらもその基盤に余りにも荒唐無稽なフィクションを置いてしまった。それが時限爆弾のように見える。
     
というわけで僕は別宮暖朗さんの著作のファンである。
氏は右翼にも左翼にも不都合な真実を指摘することに躊躇しない。
その氏が日韓関係について書いているので読んでみた。
簡潔で明快な指摘に溢れていた。
韓国人の歴史観が崩壊する内容である。
僕は別宮氏が悪意から書いているとは思えない。
氏は歴史研究者としてあたりまえのことを書いているのに過ぎない。
ただ政治的韜晦を潔くしないために朝鮮人に不都合な内容になってしまっているのだ。
    

01 高句麗朝鮮民族の国家でも、ましてや中国の一部でもない

高句麗は扶余=満州出身。
・古墳ではテント生活=狩猟・遊牧民の風俗が描かれる。
・つまり支配層と非支配層=農民は民族が違う。現代朝鮮の起源は新羅
高句麗語は朝鮮語と連続しない。数詞に顕著。
・朝鮮で事大主義=中国隷従主義でなかったのは高句麗百済だけ。勝利したのは高句麗だけ。だからどうしても韓国史に組み入れたい。
・ちなみに現在中国の旧間島地方に朝鮮人が住み始めたのは愛琿条約(1858)以降。高句麗とは関係ない。

【コラム】あまりに時代錯誤な韓国の民族主義教育
 「「民族史」を正しく認識すると歴史発展の「主体」になる」
 →「主体」的に行動すれば現実に敗北しても文化的道徳的には勝利したことになる
 民族主義=レーシズム

02 「高句麗王の碑文は日本人が改竄した」とする主張は間違い

・そもそも酒匂中尉は参謀将校だから軍令に属し、勝手な工作ができるわけない。
・1884年以前の拓本が発見された。
・韓国史学会では倭軍撃滅記事を評価してホンモノと認めたい一派もある。

03 韓国外交通商省はなぜ「任那日本府説」を認めたがらないのか?

任那という地名は日本書紀にも百済本紀にもあり確実。
・4〜7世紀に倭が朝鮮半島に出兵しているのは確実。
・対外窓口として伊都→太宰府の間が抜けている。これが日本府であった可能性が高い。
任那地域に6Cの前方後円墳が多数発見された。倭人官僚の墓と思われる。
任那から倭へ調=税が納められていた。やがて百済新羅に徴税を任せて撤収した。日本には朝鮮での徴税台帳が残る。

【コラム】天皇家のルーツは朝鮮半島とする説には無理がある
 天皇家の祖先を語るには邪馬台国を判断せざるを得ない。
 邪馬台国朝鮮半島より国家段階が進んでいた←伊都での官僚制の記述。高句麗百済では5C。
 ヤマト王権の特徴=鏡・勾玉・銅剣=紀元前から連続=朝鮮半島にはない。

04 NHKの七枝刀銘文解釈「百済は上位、倭が下位」は誤り

 <七枝刀銘文>
 「泰■四年■月十六日丙午正陽造百練■七支刀■辟百兵宜■供侯王■■■■作」
 「先世以未有此刀百済■世■奇生聖音故為倭王旨造■■■世」
 ・解釈1(日本>百済
 「泰■四年■月十六日、丙午正陽に百錬の鉄で七支刀を造る。以って百兵を辟除し宜しく侯王に供する。■■■■これを作る」
 「先世以来未だ見なかったこのような刀を、百済王と世子は聖音に奇生するが故に倭王の旨によって造り永く後の世に伝える」
 ・解釈2(百済>日本)
 「先世以来未だ見なかったこのような刀を、百済王の世子は奇しくも生まれながら聖音あるが故に倭王旨のために造った。後世に伝えよ」

・七枝刀は明治初年頃石上神宮の池から偶然発見された。
・NHKの解釈は韓国人ジャーナリストの受け売り。
・NHKは日本書紀の記述(百済による貢上記事)を理由無く無視する。
・当時百済は日本に軍事援助を求め人質まで差し出していた。朝貢関係は軍事力で決まる。
・下賜なら「賜」があるはず。倭王=「侯王」=「倭王旨」とするのは無理矢理すぎる。
・軍事的に倭が百済を圧倒していたのは事実。朝貢関係は軍事力で決まる。
百済の技術力が高いのは確か。しかし韓国内にはない最高級品を倭王に献上する外交事情。

【コラム】百済高句麗の古代文化
 日本への文化伝達記事が三国史記に書かれていない。日本書紀ばかり。朝貢のことはあまり書かないものだから。
 新羅は3国でいちばん遅れた国歌。王名が中国史書に現れるのは521年法興王から。日本より350年も遅い。
 新羅の支配は旧習を旧支配相と融和するスタイル。
 新羅による統一で朝鮮半島経由の文化流入が終了。

05 存在しなかった戦争で「勝利した」と主張?

・唐は高句麗を滅亡させたが、そのまま本土に撤退した。唐vs新羅の戦闘はなかった。
・朝鮮北部は不毛の地で陸路攻略不能。唐は海路高句麗を攻略。しかし平壌越冬不能だから撤退。
・以降新羅は唐と日本に朝貢して国家維持。

06 「渤海国高句麗の末裔」とするのは韓国の民族主義史観の幻想だ

 

07 「元寇の停滞・挫折は朝鮮人が抵抗したからだ」という日本人学者のデタラメ

 

08 中国への隷属を正当化する韓国の儒教史観

 

09 正義の外征だったという「対馬征伐」その結果は無惨な返り討ちだった

 

10 秀吉の朝鮮出兵が敗北に終わったというのは事実ではない

朝鮮出兵は日明戦争。
・秀吉軍の有力な武将は誰も死んでいない。
・秀吉軍は兵站が伸びきったので撤退した。

【コラム】「再征」を恐れた朝鮮が割譲した釜山居留地
 当時の日明の人口は同等。経済力を背景にし欧州の武器で武装した武士団は強かった。
 朝鮮が申し入れた講和条件から日本が優位にあったことが明白。
 明は満州人との抗争で余裕無かった。
 釜山和館は11万坪400〜1100人常駐。城まであり。建設費、食料費全額朝鮮負担。

11 現在の韓国をも決定した清への屈辱的な降伏文書

 

12 江戸時代は日朝善隣友好の時代であったとは真っ赤なウソである

儒教では対等な国家関係はあり得ない。
・朝鮮は日本へ拝礼したが、日本はなにもしていない。釜山和館からの連絡だけ。
・当時日朝の経済格差は圧倒的。
・朝鮮使節は日本側経費負担で朝鮮人参密売で儲かるので皆来たがった。300人にまで増えた。
・日本人は見せ物として見ていた。朝鮮使節のマナーの悪さは有名だった。

13 李朝時代の儒教統治が経済を破綻させ、飢饉を常態化させた

 

14 李朝末期の悪政と国家あげての犯罪とは?

 

15 朝鮮の独立は日清戦争での日本の勝利によってもたらされた

 

16 朝鮮国王は独立にとまどい、日本ではなくロシアを宗主国として選んだ

 

17 居場所を失った儒学者はテロに活路を見出し、伊藤博文の暗殺に成功した

 

18 現代の韓国・朝鮮人日韓併合条約を決して認めない理由とは何か?

 

19 韓国民衆は「法治」を理解していなかった

  

20 韓国の歴史教科書はいまだに「テロ」を賛美する

  

21 韓国教科書が教える「青山里大勝利」は存在しなかった

  

22 朝日新聞が名づけた「従軍慰安婦」は存在しなかった

  

23 多くの朝鮮人総督府を熱心に支えたのは事実である

  

24 独立運動家たちの権力抗争が朝鮮統一を妨げた

  

25 朝鮮戦争の原因は米軍に責任があるとする韓国人特有の心理

  

26 「戦争中、日本は多くの韓国・朝鮮人を拉致した」という暴論

  

27 朴正熙は「漢江の奇跡」をなしとげたが、言論の自由は否定した

  

28 揺れ動く韓国軍のベトナム戦争派兵の「大義

  

29 韓国政府が介在した日本人拉致監禁事件

  

30 金泳三大統領は誤った歴史観と政治感覚で法治を破壊した

  

31 金泳三「民主」政権が韓国の経済危機を招いた

  

32 韓国の自動車産業はなぜ日本に追いつけないのか?

  

33 韓国政府の「過度な介入」が経済危機を招いた

  

34 「太陽政策」とは、事実上「統一」の断念を意味する

  

35 盧武鉉大統領は言論の自由を認めない儒教主義的な人物だ

  

36 韓国軍の「竹島」武力侵攻は国際法違反であり、日韓に歴史問題は存在しない

  

37 韓国政府による「民族主義」鼓舞が国際的弊害を次々に引き起こす

  

38 普通の国であれば「はしたない」ことも平気でできる韓国人の特異性

  

  
追記) 
ところで本書中に天皇の起源に言及した箇所がある。
別宮氏は2Cにはヤマト国の原型があったように示唆している。
これは僕の考えに近い。
「近隣諸国への配慮」をやめて純学術的に考えれば邪馬台国=ヤマト国だろう。それなら天皇家の起源は想像以上に古い。
日本への稲作文明の流入は少なくともBC10まで遡り、江南や半島を経由した移民と原日本人の融合が進んだ。
漏れはそのなかでハイブリッドとしての天皇家が成立したと考えている。
漏れは神武に相当する人物は紀元前後に実在したと思うし、東征=東遷は1Cころに実際にあり、ヤマト国が成立したと想像している。
国家形成が早かったために3Cに漢が滅亡すると速やかに朝鮮半島へ外征を繰り返すことができた。
その遠征の一つが「神功皇后三韓征伐」だろうし、帯方郡なきあとの交易拠点が「任那日本府」だろう。
詳しくはまた別項で論じたい。