トンカチを握る腕

ドクター・ハマー―私はなぜ米ソ首脳を動かすのか

ドクター・ハマー―私はなぜ米ソ首脳を動かすのか


アーマンド・ハマー・・・
 
変な名前だと思っていたら共産主義者のパパが付けた名前だったか。ψ( `∇´ )ψ
 
有田芳生みたいなもの?
姓まで違うのだからもっとすごい?
鎌鎚拳って感じ?
アームアンド・ハンマーて書けよ。
      
レーニンと同じころロシアに生まれたハンマーパパは米国に渡り実業家になった。
やがて彼はボリシェビキ米国支部である社労党(米国共産党の前身)を創設する。
トンカチ坊やは生まれたときから革命エリートのインナーサークルで育ったわけだ。
米国滞在中のトロツキーとも接触があったろうな〜。
  
パパの事業内容はようわからんのだがドラッグストアチェーンみたいのを経営していたらしい。
独自ブランドの食料品に自分の政党のアイコンを貼り付けたりしたという。(藁)
REDS』が描く古き良きアメリ共産主義運動の心温まるエピソードだ。
   
小売商というのは商品の運送がカナメだしアルコールも扱うからヤクザと付き合いができやすい。
そしてパパハンマーは左翼の大親分だ。
1920年からの禁酒法時代には後にアメリカ左翼運動の中核となる全米トラック運転手組合(通称チームスターズ=御者組合)が結成されている。
パパハンマーはアルコールで財をなしたという。
輸送と小売窓口を握っていれば酒の密売は容易だったろう。
   
ちなみにチームスターズといえばトロツキー第四インターの中核に期待していたのは有名な話だ。
J・レノンは暗殺される次の日にチームスターズの支援集会に出席予定だったと言われている。
『ホッファー』という映画もあった。
  
1917年、ハンマー君18歳のときに革命が起こった。
 
革命ロシアに対して反共西欧は経済封鎖を行った。
革命のピンチにハンマー親子は米国で物資調達に活躍する。(なんで米国政府は容認したのかね?)
最大の商品はフォードのトラックやトラクターだった。
やがてフォードはソ連に工場を建設するまでになり、そのトラクター工場は戦車生産に転用されて独ソ戦勝利の要因となるのは後の話。
ココム違反だな。(藁)
 
内戦の落ち着いてきた革命5年後、23歳になったハンマー青年は自らロシアに乗り込み鉛筆や石綿などの工場を設立した。
レーニンに会ったのはこのころだろう。
 
ハンマー親子はロシアからの農産物輸入も一手に引き受けた。
裏家業としては革命で没収された美術工芸品の転売にも関与したらしい。
このときの経験が後の美術品収集につながったわけだ。
 
ようするにハンマーはボリシェビキの非公然の一員であると同時に米国マフィアにも顔が利く立場を利用して蓄財した。
やがて冷戦が始まると米国の倒産しかかった石油会社を買取る。
ソ連の石油ビジネスへの対応だったことは間違いないだろう。
ソ連には昔ロスチャイルドが支配を目論みスターリンを送り込んで失敗したバクー油田がある。
 

アーマンド・ハマー(Armand Hammer, 1898年5月21日 - 1990年12月10日)はアメリカの大富豪で、美術品収集家。ドクター・ハマーの愛称で知られる。
 
プロフィール
 
ドクター・ハマー
ロシア系ユダヤ人の熱烈な共産主義者で、アメリ共産党の元となった社会主義労働党の創設者であるジュリアス・ハマーの子としてニューヨーク州マンハッタンに生まれた。「アーマンド・ハマー」の名前は、共産主義のシンボルの鎌(アーム)とトンカチ(ハンマー:アーム・アンド・ハンマー)をもじって命名された。1924年コロンビア大学の医学部を卒業し、医師の資格を持つ事から、以降「ドクター・ハマー」と呼ばれるようになる。
 
米ソの架け橋として
大学卒業後に、父のつてで当時ロシア革命により成立したばかりのソビエト連邦との貿易ビジネスを開始し、フォード車のソ連への輸出や穀物類のアメリカへの輸出、鉛筆の生産などのビジネスの傍ら、飢餓に喘ぐソ連に対して様々な援助活動を行ったことから、ソ連の指導者であるウラジミール・レーニンの信頼を得て、アメリカやカナダとソ連との貿易を一手に担う事になった。1924年レーニンが死んだ後も、第二次世界大戦を経て冷戦時を通じ、アメリカとソ連の間の貿易の中心的な存在となり、ニキータ・フルシチョフやレオニード・ブレジネフ、ミハイル・ゴルバチョフなどのソ連の歴代の指導者だけでなく、リチャード・ニクソンジミー・カーターロナルド・レーガンなどのアメリカの指導者とも個人的な友好を結び、デタントの陰の立役者になるなど、その影響力をビジネスだけでなく政治や外交にもふんだんに発揮した。
 
また、「共産主義の母国」の指導者であるレーニンからの信頼を得たことにより、ソ連の衛星国をはじめとするいわゆる東側諸国の指導者の信頼も受け、これらの国との貿易ビジネスも積極的を行い、多大な収益を上げた。
 
石油事業
また、ソ連との貿易で得た資産を元に、「石油メジャー」と呼ばれる7大石油会社に次ぐ規模の独立系石油会社・オクシデンタル・ペトロリウム(略称「オクシー」、「OXY」)を起業し、イランやリビアとの石油開発・取引や、北海油田の開発などで莫大な資産を得たが、その後1969年9月にリビアムアンマル・アル=カッザーフィー大佐が起こしたイスラム社会主義革命により、リビアにあった同社の資産はすべて接収・国有化され大打撃を受けた。その後リビアアメリカは断交。アメリカは経済制裁を発動し渡航禁止措置を行ったが、2004年にアメリカ政府による渡航禁止措置が解除され、2005年1月に行われたリビアの石油・ガス権益入札でオクシデンタルとサウジアラビア系企業の連合がその多くを制し、リビアへの本格的な復帰が期待される。
 
大往生
90歳を超えても自家用ジェット機で世界中を飛び回る多忙な日々を送っていたが、1990年12月10日に冷戦の終焉を見届けるかのように92歳で大往生した。
 
コレクター
美術品コレクターとしても世界的に知られており、ソ連との貿易をしていたころより本格的に収集を始め、主にロマノフ王朝時代のロシアをはじめとするヨーロッパの絵画や彫刻などを収集する傍ら、1930年代にはニューヨーク州マンハッタンに画廊をオープンするなど、趣味と実益を兼ねたビジネスを行っていた。また、後にオクシデンタル・ペトロリウムの本社があるカリフォルニア州ロサンゼルスにアーマンド・ハマー美術館を設立している。
 
URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%9E%E3%83%BC

スターリンがアーマンド・ハマー(Armand Hammer)などの人物を介して、IJCと公然とした商売上の連携を保持していたのは本当である。ハマー自身が名声を得たのはオクシデンタル石油会社によってであったが、彼の父はロシア系ユダヤ人で、1900年ごろに米国に社会労働党を創立した人物であった。
 
その父は、ハンマー(hammer)を握った腕を党のシンボルマークにした。このマークは、登録商標としてハマーの重曹製品の入った箱にも付けられた。また、彼の息子が生まれた時、息子はアーム・アンド・ハマー(Arm And Hammer)と名付けられた。非IJCの専門家たちは、米国の社会労働党は当時もそして党が存在する限り、レーニン配下のボルシェビキ支部であると考えていたことを付け加えておきたい。
 
TITLE:紫霄閣(ししょうかく) ジョージ・L・ウェスト博士 国際秘密力 第七部
URL:http://www5f.biglobe.ne.jp/~shishoukaku/08west/0802ijc/07worldwar.html

●アーマンド・ハマー
 
米ソ関係や米国の企業を語る際に忘れられない人物。謎めいた行動力とカリスマ性をもつ。
一八九八年生まれ。コロンビア大医学部卒で医者。”ドクター・ハマー”の愛称はここから。
現在、セブンシスターズに比肩する大石油会社・オクシデンタル石油会長。
 
レーニン以来、ソ連共産党書記長と単独で会談してきた唯一の米財界人。
ベクテル社とも太いパイプをもち、一九八五年ベクテル社長ステファン・ジュニアの要請でモスクワへ飛び、ベクテルが受注を熱望していたシベリアからウラルへぬける石油パイプライン建設問題で話をつけるためである。ステファンとハマーは親友である。
 
TITLE:怒りと嘲笑のすすめ<斜説>
URL:http://www.jetin.com/parody_times/a_and_d/aad20030327.htm

○伏見康治君 
・・・これもどうでもいいことですが、アーマンド・ハマーという方がおられます。これはオクシデンタル・ペトロリアムという石油貿易商でございまして、何か子供のときにレーニンにじっこんになったとかいうわけで、それ以来何十年の間、アメリカとソビエトの貿易に従事してこられた大変なお金持ちだそうでございます。私がそういう方を知ったのは、チェルノブイル事件のときにそのハマーさんが骨髄移植のお医者さんの専門家を連れてモスコーに乗り込んでいって、放射能で弱った方の骨髄を移植する手術をさせたというニュースがございまして初めてハマーさんなるものの存在を知ったんですが、最近ハマーさんの自伝みたいなものの厚い本が翻訳されておりまして、極めておもしろいんですが、デタントとかあるいはレーガンさんの対ソ強硬策とか、いろいろ米ソ間の関係が紆余曲折する中で、このハマーさんというたった一人の貿易商は連綿として民間外交的なことを、御商売ももちろんなすったんですが、同時に民間外交的なことをずっと続けておられた。こういう要素を私たちはもう少しよく眺めないと、アメリカとソ連との間の関係というものを誤解するおそれがあるんではないかと思うんです。
 
TITLE:参議院会議録情報 第112回国会 商工委員会 第4号
URL:http://72.14.203.104/search?q=cache:QXYWDOGrFxkJ:kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/112/1260/11203281260004c.html+%E3%82%AA%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%87%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AB%E7%9F%B3%E6%B2%B9%E3%80%80%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%80%80%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=6

アーマンド・ハマー
 
1898年にアメリカはニューヨークに生まれる。
 
コロンビア大学医学部卒業
 
禁酒法時代にドラッグストアから出発して、アルコール、23歳にロシアに渡り石綿と鉛筆の工場で成功。
 
レーニンの知遇を得て、アメリカからロシアに穀物を送り、フォードの代理人として活躍。
 
革命前にロマネスク王朝の財宝を買い集め、アメリカに持ち帰り、巨財をなす。
 
美術品、穀物、種牛、そして倒産寸前のオクシデンタル石油を再建し、世界8位の石油会社に育て上げる。
 
レーニン、ゴルパチョフ、訒小平レーガンと親交があり、米ソの外交に関わる。
 
TITLE:アメリカ 国際関係大学院への道:June 2005 - livedoor Blog(ブログ)
URL:http://blog.livedoor.jp/rinrin410/archives/2005-06.html

Armand Hammer Museum of Art and Cultural Center at UCLA
 
Vincent van Gogh, Hospital at Saint-Remy The Armand Hammer Collection, Gift of the Armand Hammer Foundation
印象派の名画からモダンアートまで。幅広い作品が楽しめるのが魅力
 
元オクシデンタル石油会長のアーマンド・ハマー氏が、自身のアートコレクションを寄贈したことから1990年に誕生した比較的新しい美術館。
ハマー氏のコレクションであるヨーロッパの印象派作品には、ゴーギャン、マネ、モネ、ピサロなどの傑作が数多く含まれており、見ごたえがある。
 
一方、期間限定の特別展は、モダンアートが中心。10月22日から来年1月22日までは、フランク・ロイド・ライト日本画コレクションを中心に、18世紀から19世紀の日本画をの特別展を開催する。
 
TITLE:美術館常設展示(LA)
URL:http://www.us-lighthouse.com/museumla/c-133-1.html