欠史八代

竹内宿禰の話が出たのでついでに2〜9代天皇の正体について書く。
結論から言えば相見英咲氏の説に全面的に賛成だ。
彼らは実在する。ただし「大王=天皇」ではなかった。
天皇家の祖先ではあるが天皇ではなかったのだ。
           

神武天皇 かむやまといわれびこのみこと     127歳 (137歳)
綏靖天皇 かむぬなかわみみのみこと        84歳 ( 45歳)
安寧天皇 しきつひこたまてみのみこと       67歳 ( 49歳)
懿徳天皇 おおやまとひこすきとものみこと     77歳 ( 45歳)
孝昭天皇 みまつひこかえしねのみこと      114歳 ( 93歳)
孝安天皇 やまとたらしひこくにおしひとのみこと 137歳 (123歳)
孝霊天皇 おおやまとねこひこふとにのみこと   128歳 (106歳)
孝元天皇 おおやまとねこひこくにくるのみこと  116歳 ( 57歳)
開化天皇 わかやまとねこひこおおびびのみこと  115歳 ( 63歳)
崇神天皇 みまきいりびこいにえのすめらのみこと 120歳 (168歳)

     
なお1〜10代の天皇の寿命を合計すると、日本書紀では1087歳、古事記では886歳だ。
10代崇神天皇日本書紀ではBC97年に即位したことになっているが、実際は200年代の人物の可能性が高い。つまり邪馬台国と重なる時期の天皇だ。
この天皇大戦争と平和、任那冊封大神神社と事跡が派手だ。また彼の息子が伊勢神宮をおこした垂仁天皇である。
後漢が滅亡して東アジアの文明ネットワークが大混乱に陥った。その結果、朝鮮半島南部から日本列島に連なる豪族が連合して朝廷を推戴した。その過程で「大神神社」と「伊勢神宮」という宗教センターが設定された。
と考えているのだがどうだろう?