他山の石

朝鮮王家の直系が断絶した。
 

高宗には子供が7人あったらしいが、暗殺やらなにやらで成人に達せたのは3男1女。
李セキ(純宗)・李カン(義親王)・李垠(英親王)・李徳恵。
 
    
正妃は有名な閔妃。その子が朝鮮版ラストエンペラー純宗。子供はできず、この系列は断絶。
 
側室が生んだ2男が義親王=李カン。でも母の身分が低かったらしく皇太子になれず。正妻とのあいだに子が2人。 長男李健は陸軍軍人となるが敗戦で失職。日本に帰化、桃山虔一となり、ドイツ語の翻訳やガリ版印刷業などをして細々と生き抜く。1990年死去。先妻とのあいだに1男。後妻とのあいだに1男2女がある。 次男李グウも陸軍軍人となったが広島で爆死。(広島の朝鮮人被爆者の碑がある場所がこの人が亡くなった場所。差別じゃないので注意。)広島に来る前は中国戦線にいて朝鮮独立運動を密かに助けたのだという伝説があるので、朝鮮人のあいだで人気がある。お兄さんと好対照。 しかしこのほかに側室が産んだ子が沢山いて11男9女あり!うち2人だけが韓国に住んだ。残りは皆米国に移住。その2人のうちの1人が歌手の李錫(イ・ソク)。ときどき反日活動で新聞に出てくる。『親日派のための弁明』の金ワンソプを訴えたのもこの人。さらにその娘が自称女優の李洪というひとらしい。
 
側室が生んだ3男が英親王=李垠(イ・ウン)で最後の皇太子。梨本宮方子と結婚する。子供2人。うち1人は早世。残ったのが李玖。この方が今回死亡。子供が無かったので義親王の孫の李源を養子にした。この人が下の記事に出てくる李源さん。現代にお勤めのサラリーマン。
 
側室が生んだ長女?の李徳恵は精神病だったらしく、その後元対馬藩主宗武志伯爵と結婚するが戦後離婚。もうけた1女の宗正恵は行方不明!(ちなみに宗武志さんは戦後英文学の優秀な研究者になったらしい。)結局断絶?
 

世論も皇室典範会議の反応も鈍い。
彼らを操る政権の意向はもう決まっているのだろう。女系容認。天皇家は直近の親族だけを藩餅に細々と利用してゆく。天皇の元首化すらできない自民党が宮家の復活などできるわけもなく、人権と言われたらなんでも容認する議員達が「男女差別」を残せるわけもない。ぎりぎりまで男系優先で保守を黙らせながら最終段階で女系容認で決着させるつもりだ。
この伝統に対する無感覚無思想はなんだろう?
自称2700年、少なくとも1700年の間いちども破られなかった原則がその場しのぎのために捨て去られる。

皇室典範会議 二者択一で判断待つ 論点整理、男系男子か女帝容認か

 安定的な皇位継承のあり方などを議論する政府の「皇室典範に関する有識者会議」(座長・吉川弘之元東大総長)は二十六日、第十回会合を開き、今後の検討に向けた論点整理をまとめた。会議は八月三十一日の次回会合以降、焦点の皇位継承資格について、現行同様、父方の系統に天皇を持つ男系の男子に限るのか、女性・女系天皇を認めるか〓について本格的な論議に入る。 

 今回の論点整理は、これまでの会議での議論や皇室専門家らからの意見聴取の結果を基にしたもので、一定の方向性を示してはいない。ただ、事実上は男系男子か女性天皇かの二者択一に論点を絞ったもので、吉川座長は「国民が論点を十分に理解したうえで、ある種の判断をすることを期待している」と話す。

 論点整理は第一に「問題の所在」として現行の皇室典範のままでは「早晩、皇位継承資格者が不在になる恐れがある」と指摘。そのうえで「基本的な視点」として皇位継承制度に求められる三つの条件として(1)国民の理解と支持(2)伝統を踏まえる(3)制度としての安定〓を挙げた。

 今後の主要な論点としては「皇位継承資格」「皇位継承順位」「皇族の範囲」「その他関連制度」の四点を提示。特に皇位継承資格者の存在を確保するための方策に当たっては、現行の「男系男子であること」をどう考えるかが論点となると結論づけている。

 また、皇位継承資格を皇族女子や女系の皇族に拡大する場合には、「長子(第一子)優先」「兄弟姉妹間で男子優先」「男子優先」などの方法があり、これらを「整理しつつ検討する必要がある」としている。

 皇族の範囲に関しては、皇位継承資格、皇位継承順位の検討結果に応じて議論するとし、その他の関連制度として、必要な場合には皇室経済制度や皇族配偶者に関する制度も検討すると初めて言及した。会議は今後、この論点整理を基に、皇籍離脱した旧皇族を皇族に復帰させた場合の社会的影響など、「一つひとつの要素を慎重に客観的に議論したうえで、今年中に結論を出したい」(吉川座長)としている。

TITLE:Sankei Web 産経朝刊 皇室典範会議 二者択一で判断待つ 論点整理、男系男子か女帝容認か(07/27 05:00)
URL:http://www.sankei.co.jp/news/050727/morning/27pol001.htm

朝鮮王朝史、送る葬列 最後の子孫・李玖さんにお別れ
2005年07月25日07時20分

 朝鮮王朝最後の直系の子孫で、16日に73歳で亡くなった李玖(イ・グ)さんの葬儀が24日、ソウルの昌徳宮(チャンドククン)熙政堂(ヒジョンダン)前で営まれた。これで最後とみられる王朝古式の伝統にのっとった儀式の後、国葬並みの華麗なひつぎと民族衣装の長い行列がソウル市中心を練り歩き、沿道で数万人の市民が別れを告げた。

 李さんの死は日本の植民地統治の苦い記憶と重なり、韓国では複雑な思いで受け止められた。祖父は朝鮮王朝を継承した大韓帝国の皇帝・高宗(コジョン)。母は日本の朝鮮半島融和策で李垠(イ・ウン)皇太子と政略的な結婚を強いられた梨本宮守正王の長女・李方子(まさこ)さんだった。

 葬儀で李さんの肩書には王朝の名は使われず、日本の韓国併合とともに消滅した大韓帝国皇帝の子孫とされた。李海●(●は王へんに賛、イ・ヘチャン)首相は弔辞で「(日本の保護国下に置かれた)乙巳条約(第2次日韓協約)以来100年の歴史をきれいさっぱり落とし、ご両親の横で安らかにお眠りください」と述べた。多くの閣僚や政治家が列席し、日本から高野紀元・前駐韓大使や皇族関係者も参列した。

 東京に生まれ、学習院で学んだ。63年に韓国の国籍を回復し、韓国に永住しようとしたものの、2度にわたり事業に失敗するなど不遇が続き、再び渡日。心不全で倒れたのも東京だった。

 李さんのひつぎは、方子さんが89年に息を引き取った昌徳宮内の楽善斎(ナクソンジェ)に安置され、葬儀後、車列は太極旗を先頭に、王朝時代の衣装で太鼓や鐘を打ち鳴らす約600人の先導で約1キロ離れた王朝の王をまつる宗廟(チョンミョ)前へ。食物を供える儀式の後、父母が眠るソウル郊外・京畿道の英園(ヨンウォン)に合葬された。

TITLE:asahi.com:朝鮮王朝史、送る葬列 最後の子孫・李玖さんにお別れ - 国際
URL:http://www.asahi.com/international/update/0725/004.html

朝鮮王朝の嫡統受け継ぐ李源氏 「会社生活続ける」

 朝鮮王朝の嫡統を受け継ぐことになった40代の会社員李源(イ・ウォン)氏は、「今後も、これまでと変わらず、会社員として働く」と語った。

 全州李氏大同宗約院理事会は22日、高宗(コ・ジョン)皇帝のひ孫で、義親(ウィチン)王の9男、李忠吉(イ・チュンキル)氏の長男である李源氏を李玖(イ・ク)皇世孫の継承者に決定した。喪主として賓庁(宮中に設けられた会議室)を守っていた李氏は、喪中のため本格的な記者会見は開かず、賓庁で話した。

 李氏は門中(一族)の法度や宗約院の規律により、請け負った責任を遂行していく」「王室の伝統法度の教育も受ける」と話した。米国に留学した李源氏は、一時、米国籍ではと囁かれたことがあったが、「永住権をもっていたのは事実だが、1989年に放棄した」と話した。

 この日に開かれた理事会で、李源氏を故李玖皇世孫の養子に迎えることを決定した全州李氏大同宗約院は、「皇室を復元するというのではなく、ただ皇世孫の家系が途絶えるのを防ごうという意味」と説明した。

 一方この日、義親王の13男である李錫(イ・ソク)氏など一部の親族たちが、「葬儀も終えていないのに、養子を入れるとは話にならない」とし、全州李氏大同宗約院関係者ともみ合いになる場面もあった。

TITLE:朝鮮日報 Chosunilbo (Japanese Edition)
URL:http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/07/24/20050724000002.html