産業スパイ@1790

技術情報が如何に秘匿されたかは洋の東西を問わない。
しかし漏れる。それが技術史ともいえる。
中共のパクリだってそれを踏まえた確信犯。

兵頭二十八 "Podcast28 Mil News Blog"、2011/11/08)
http://podcast28.blogzine.jp/milnewsblog/
Dan Nosowitz 記者による2011-11-4記事「Gallery: A History of Data Theft」。
(略)
アンドリュー・ジャクソンが、墓碑で「米国の産業革命の父」と名付けた Samuel Slater は、じつは最高度の産業スパイであった。
1768にアークライトが特許を取っている水力利用の綿糸紡績装置。
スレーターは英国で、アークライトのマシンを置いている工場の労務者の息子として生まれた。1789に彼が21歳になるころには、米国のボストンやニューヨークで事業家たちが軽工業の機械化に悪戦苦闘しているようだった。
スレーターには、機械部品の細部まで立体的に頭の中に記憶できるという特殊な才能があった。彼はアークライトのマシンを構成する機械部品の外形をぜんぶ、頭の中に叩き込み、渡米した。
 1790にスレーターはNYからロードアイランドの事業主に手紙でプレゼンし、英国の工場と同じ機械を作って見せますと売り込んだ。英国製と同質の綿布ができなかったら1銭もいりません、と。もし失敗したなら橋から飛び降りるくらいの覚悟であった。契約は成立した。
機械は1793に完成した。英国製オリジナルより小型ではあったが、性能は、そこそこであった。
1812の米英戦争も追い風だった。英国製品が輸入されなくなったので、質の落ちる国産品でも売れたのだ。スレーターさんは百万長者になりましたとさ。