アメリカ合州国と満洲帝国と中華人民共和国



 
兵藤二十八先生の、満洲国は「天皇」がなかったので瓦解した、という指摘に蒙を啓かれたことがある。
そう、烏合の衆が「国家」を死を賭してまで守ろうとするにはコアが必要なのだ。
日本国は歴史があり民族があり天皇がいる。
独立戦争そのものは経ていないが大東亜戦争がその役割を果たした。
   
しかし満洲国は違った。
ある意味日本人が独立戦争を戦ったと言えるのかもしれないけれど、それは3%の話だ。
しかも日本国籍を放棄したものなどいやしなかった。
利害得失で集まった人間集団でしかなった。
   
中共内戦は、大半の「中国人」にとって、独立戦争とは捉えられていない。
あれは広域暴力団中共組の全国制覇にすぎない。
中共のメンバーは人口の5%を超えたことはない。
したがって論理的には、国民未だ成らず、となる。
普通選挙権は「国家のために死ぬ人民」に与えられる。
だから「中国人民」に普通選挙権がないのは道理に適っている。
国軍ですらない「人民解放軍」は我利を離れて祖国防衛のためにどこまで戦えるか、いまだに謎だ。
  
米国人は「祖国」のために命をなげうってきた。
独立戦争で勝ち取った祖国だからだ。
戦争を通じて「アメリカ民族」が形成された。
しかし現在の3億人の米国人のうち、独立戦争を抵抗なくシェアできるWASPは1億人もいないだろう。
膨張するローマは民族国家を離れ、民族的紐帯を期待できない帝国に成り下がり、崩壊した。
やがて米国人であることが豊かであることを意味しなくなったとき、米国が満洲の轍を踏まないためには、建国神話をシェアすることが絶対に必要なのだろう。