事故対策を否定した役人の論理

この発想法、日本海軍の「不沈戦艦」理論とまったく同じですね。
サヨクの戦争を研究することは戦争に繋がるから許さない、というのも根っこは同じ。
言霊信仰なんですかね?(笑)

「次の手」を欠く硬直思考
 いったんこうと決めたら次の手がいっさい打てないという傾向は、ほかの点でも見られます。たとえば捕虜の問題がそうです。日本は「捕虜になってはいけない」という教育を徹底的に行いました。すると、「捕虜にならない」という大前提があるから、「捕虜になったらどう対応するか」という教育が出来ない。そのために、捕虜になると何でもしゃべってしまうルーズな兵隊ができてしまう。つまかっても秘密を漏らしてはならない、という教育をしたら、捕虜になる前提があるということになる。自縄自縛です。
 戦艦「大和」についても同じことが言えます。海軍は、敵の砲弾が当たってもそれに耐える設計をすることを命じました。それで厚さ四十一センチもある鋼板を張ったりする。ところが、そうして「これで大丈夫です」と言った瞬間、それが撃ち抜かれた場合というのが考えられなくなる。「穴があいたらどうするのか」と聞かれても「いや、穴があかない設計になっています」と答えるしかない。「万一穴があいた場合はこうします」と答えたら、「穴があかないはずではなかったか」と問題にされる。
(『歴史通』2011年5月号「日本海軍中堅幹部「海軍反省会」の証言」戸郄一成 p92)

2011年4月28日(木)
原発安全神話」に慢心した罪
原発防災ロボット開発が残した教訓
石原 昇
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110426/219655/?P=1
(略)
 電力会社や政府の原子力関係者は「原発防災ロボットが必要になる事態は日本では想定できない。むしろ不安を煽ることにつながる」と判断し、数々の成果をお蔵入りさせてしまった。プロジェクトに携わっていた研究者は、そう振り返って悔しがる。開発されたロボットは、維持・運用ための予算がつかず、一部は廃棄された。
(略)