米国からの義援金 in 1923

  
1906年 サンフランシスコ地震 日本→米国   25万ドル
1923年 関東大震災      米国→日本 1060万ドル+病院ベット6000床他
 
第一次大戦を挟んで通貨価値は半減しているだろうけど、米国の義捐金額は日本の10倍返しだったんだね。
その両国がまた17年たって干戈を交えようとは。

2011年3月30日(水)
関東大震災後、八面六臂の活躍をした渋沢栄一
番外編 民間の力とスピードを重視して復興に貢献
守屋淳
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110324/219121/
(略)
 こうした呼びかけに応えて、集まった義捐金は何と1060万ドル。米国中が「日本を救え」と盛り上がったのです。さらに米国が、日本に持ち込んだ医療の施設も膨大なものでした。
 《震災前、東京とその近郊にあった病院の数は、百七十二、ベッド数が八千六百床、うち百十五病院の五千七百床以上が震災で破壊された。米国救護団は六十八病院分の設備とテントや簡易ベッドなどを合わせると六千床分に相当する機材をもたらした》
(略)
1906年4月18日サンフランシスコを大地震が襲い、その後の火事によって市内は壊滅状態に陥ります。実はこの頃すでに、日米の間でこのサンフランシスコを中心とした西海岸で「日本人移民排斥問題」が起こり、関係が悪化していました。
 しかし日本側は、明治天皇みずからが20万円を寄付金として下賜、財界人たちもサンフランシスコ支援に立ち上がります。この中心的な役割を果たしたのがやはり栄一でした。もちろん、すべての財規人が快く義捐金に応じたわけではありません。中には、
「銀行から金を出すのは誠に困る、営利事業をやっているものが社会事業に金を出すのは実に変だ」
 とフリードマンばりの理屈で断ろうとする相手もいたようですが、栄一は、
「公共事業の如き有意義なものに、実業家が充分の金を出すのは当然ではないか」
 と一喝して出させたりもしたそうです。日本におけるCSRの祖、栄一の面目躍如といったところでしょうか。こうして集まった日本からのすべての義捐金合計は24万6000ドルに上り、諸外国のなかでも抜きん出て巨額でした。
(略)