等伯

日経の連載小説は時代物に決まっているわけでもないのに、前回の『韃靼の馬』に続き『等伯』と、また国際時代物になっている。
しかし微妙に日本マンセーな前回にくらべ、今回は妙に朝鮮マンセーだ(^_^)
そして極めつけが引用部分。
 
日本海側に大和朝廷に匹敵する王国があった
・その王国をつくったのは韓国人である
・韓国人は日本人より進んでいた
・天才的日本人には実は韓国の血が流れているに違いない
 
○| ̄|_...
なんという団塊脳(笑)

等伯 (49)
安部龍太郎(日経文化面2011年3月12日)
 
 大和朝廷が成立したのとほぼ同じ時期に、これだけの勢力を持って北陸に君臨した王家があった。それは邑知潟が、日本海富山湾をむすぶ交易の大動脈として機能していたからである。
 信春はむろん知らないが、ふもとの町を見下ろす丘の上に集中的に古墳を集めるやり方は、韓国の慶州郊外の墳墓群とよく似ている。
 おそらく古い時代に日本に大挙して渡来した人たちが、母国の習慣に従ってこうした古墳をきずいたのだろう。
 そう考えれば能登半島にお熊甲祭りのように朝鮮の習俗をそのまま移した祭りが伝承されていることも、能登の方言のイントネーションが韓国語そっくりなのも納得がいく。
 だとするなら、能登半島は古代のある時期に日本の先進地帯だったということだ。大陸から渡来した人々は、日本よりはるかに進んだ文化や文明を持ち込んだに違いない。
 そうした記憶と血脈は能登の人々に永々と受けつがれ、長谷川等伯のような傑出した画家を生んだのかもしれなかった。(略)