政府による押しつけ

兵藤二十八氏が書いているように第二次世界大戦でもっとも集権的に国内動員ができたのは米国とソ連だった。
つまりこの2カ国の全体主義能力は同じくらいだったのだ。
それに比べたらドイツは未だ劣ったし、日本なんてまるでなっていなかった。
で、その連邦政府全体主義を支えた前例が、いままた健康保険押しつけに関して焦点化しているという話。
日本人は「イイコトなんだから強制したって良いじゃない」とバカなことを言うバカもいるが、問題はそこじゃない。
「イイコト」を押しつけること、そのことが建国の理念に反するから問題なのだ。
逆に米国民の殆どが賛成しているならすんなり可決されただろう。
多くの国民が反対しているのに政府が「イイコトだから」と押しつける異常さに気づけよ!

2011年1月11日(火)
ヘルスケア改革法の行方左右する60年前の最高裁判決
Bloomberg Businessweek
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20110106/217832/
Greg Stohr(Bloomberg News記者)
米国時間2010年12月29日更新
「The Court Case Haunting Health Care」

 
 かつて、オハイオ州デイトンにロスコー・フィルバーン氏という人がいた。茶会運動など存在しない60年ほど前、フィルバーン氏は、自分の農場に対して連邦政府が余計な干渉をしたとして連邦政府と対立した。政府が定める割当量を超えて秋まき小麦を生産したとして、米農務省がフィルバーン氏に罰金を課した。同氏はこれを不服とし、訴訟を起こしたのだ。この裁判は、最高裁にまで持ち込まれた。
 1942年に判事が全員一致で下した判決は、フィルバーン氏の敗訴。この判決によって議会は、各州間の通商を規制する権限は拡大した。その範囲は環境や消費者保護、労働環境の安全確保などを定めた法律にまで及ぶことになった。この判例はいまだに影響力を持っている。「ウィッカード対フィルバーン訴訟」の最高裁判決は、バラク・オバマ大統領の医療保険制度改革法への異議申し立てが成功するかどうかを左右しかねない。
 
個人で使う小麦まで規制の対象とした
 
 フィルバーン氏は移民5世の農家で、他人の下で働いたことがないことを自慢にしていた。彼は自分の90エーカーの農場で家畜やニワトリを飼い、作物を育てていた。
 いっぽうクロード・ウィッカード農務長官は1938年の農業調整法を行使して、小麦の価格を上げるために生産制限を課した。フィルバーン氏はこれに反抗したのである。
 フィルバーン氏は、連邦政府から補助金を受け取っていたが、政府が自分の作付け量を制限することを承知していなかった。1940年の秋、彼は秋まき小麦を23エーカーの農地にまいた。これは彼に割り当てられた11.1エーカーの面積の2倍以上だった。その結果、117.11ドルの罰金が科せられ、訴訟となった。
 こうした生産量の割り当ては四半世紀の間、農産物価格の下落に苦しんできた農家を助ける目的で、政府が実施したものだった。だが「政府が農家に作付け量を言い渡すことが父には正しいと思えなかった」とフィルバーン氏の息子、ロスコー・フィルバーン・ジュニア氏は振り返る(彼らの姓の綴りは年月を経て、FilburnからFilbrunに変わった。息子は現在フロリダ州に住んでいる)。
 最高裁で争われたのは、フィルバーン氏が家畜の餌にしたり敷地内で使う小麦粉の生産量を議会が規制できるのか、という点だった。判決は、フィルバーン氏が自分で小麦を作り、よそから買わなかったために、国内および国際市場に影響を与えたとした。フィルバーン氏個人が州際市場に与えた影響はわずかかもしれないが、「彼と同じ状況にある多くの人々の影響すべてを合わせると、わずかどころの騒ぎではなくなる」と、ロバート・ジャクソン判事は述べている。
 ルイビル大学ロースクールのジム・チェン学部長は「当時この判決の重要性に気付いた人はほとんどいなかった」と語る。それでもこの判決は、議会の権力が事実上無制限となる時代の到来を告げるものだった。
 これ以降、裁判所はこの通商条項をこの通商条項を根拠に1964年の公民権法を適用し、他州からの旅行客を泊めているジョージア州のモーテルも、他州から食材を仕入れているアラバマ州のレストランも、差別禁止法の対象になるとしてきた。
 
バージニア州のある判事は医療保険制度改革法を違憲と判断
 
 全国民に医療保険への加入を求め、加入しない場合は罰金を科す2010年医療保険制度改革法には、21州が反対している。「inactivity」つまり、保険未加入を規制するのに議会は通商条項を使うことはできない、というのがその根拠だ。
 これに対してオバマ政権は、フィルバーン氏が自分で小麦を作って消費したことと、保険に加入しないのは同じだと主張する。国の医療保険市場に影響を及ぼし「リスクやコストをより多くの国民が負担することで負担を減らそう」という取り組みを妨げるものだと反論している。
 各州は「フィルバーン氏は、自ら進んで規制のある小麦市場に参入したのであるから事情が異なる」と反論する。12月13日、バージニア州連邦裁判所のある判事は州側の主張を認め、医療保険制度改革法が違憲であると判断したが、残りの2判事は同法を支持した。
 最高裁は1995年以降、議会の力を削ぐ方向に傾いている。最高裁は1995年、「商業活動がかかわらない限り、フィルバーン判例は適用されない」として、学校周辺で銃の携帯を禁止する連邦法を無効にした。一方、オバマ政権にとって好ましい判決も出ている。最高裁は2005年、フィルバーン判例を根拠として、特定の地域で医薬品用行われているマリファナ栽培を、連邦医薬品法に基づいて違法行為として告発することを認めた。
 今回の医療保険制度改革法の訴訟は、現在はまだ下級裁判所で審理中だ。しかし、早ければ2011年秋にも最高裁に持ち込まれるだろう。
 この医療保険制度改革法や小麦プログラムほど経済的重要性を持つ事例は、最近ない。前出のチェン氏は「小麦の生産割り当て制度は最高裁の支持を受けたことで、その後、専門的な農業ビジネスの勃興を助けることになった。一方で家族経営の総合的農場の崩壊を促した」と指摘する。フィルバーン氏は自分の代で農場を手放した。開発業者に売却された彼の土地は分譲地とショッピングモールになった。フィルバーン氏は1987年に他界した。