尖閣ビデオ流出、守秘義務違反は問題の本質ではない

 
この著者のひと『「法令順守」が日本を滅ぼす』を書いていたりして納得できることも多いのだけど、ちょっと違和感があるなあ。
要するに旧来の秘密定義に囚われず「会社=お役所」の利益を損ねないように法律を整備しよう!と言っている様にしかみえない。
まぁお役所の組織防衛からすればそうなんだろうけど、国民にとっては、本来知らされるべき情報が、法的根拠も無いのに、勝手に時の政権政党が秘密認定してしまうことのほうだろう。中国人船長釈放もビデオ秘密指令も外交配慮の「超法規的措置」という意味で同等だ。そのとき政権与党の恣意と国民の知る権利・利益のどちらを重視するか、ということ。
 
ところでジミンのガッキーが「国家の規律を守れないというのは間違っている」「(226事件では)若い純粋な気持ちを大事にしなくてはと言っていたが、最後はコントロールできなくなった」と批判した。実際自民党は保安官の「犯罪の重大性」を前提に民主党閣僚の責任追及するという戦略をとっている。しかし漏れはここでも違和感を感じる。
民主党自民党とも「組織防衛の論理」を前提としている意味では同じ穴のムジナだ。
実は漏れも保安官を称える世論に226事件を想起した。漏れもロジックを明確にせずに「憂国の情」だけを以ってする浪花節には反対だ。しかし「上官の命令は絶対」に逆らった=226事件じゃないだろう。少なくとも先の大戦での戦争犯罪や戦後行政の隠蔽体質を反省して公務員は良心に従い組織命令に抗する自由が認められている。流出保安官は命令違反を謝罪している。しかし形式的にはまさにこのケースにあてはまる。よって問題はその当否であって内容(組織命令に背いてでも国民に知らせることが国益であったのか)を検証すべきだろう。
 
海上保安庁の管理責任は問われる。どんなくだらないデータでも職員が気まぐれに流出させることが出来る状態に放置させて良いはずは無いからだ。しかしそれは一般的な管理責任であって、外交の具となり重要性が増したのだから管理責任は重くなったなどという結果論を遡及させてはならない。海上保安庁は常識の範囲内での管理責任を負っているのであり、命令があるまえから政権与党の都合を忖度して行動する義務はない。逆にそんなことをしていたらそれこそ行政組織の独立性を揺るがす由々しき問題だ。
それどころか初期の管理の緩さは当初は誰もこれを「機密」と認識しておらず当然公開すべきものと考えていた証左ですらある。もちろん馬渕国交相から秘匿命令以降の管理責任はより強く問われるが、表裏としてその命令の当否も問われざるをえない。このケースがあてはまるかどうかは別として、前述のように日本の法令では公務員に良心に従って命令に抗する権利を認めている。



尖閣ビデオ流出、守秘義務違反は問題の本質ではない
誰もが「情報素材」を公開できる環境にどう対応するか
郷原信郎
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20101115/217088/?P=4
(略)
 官公庁の情報管理の問題も、国公法上の守秘義務規定という旧来の「事実」中心の制裁規定での対応は困難である。情報の性質や管理の実態に応じて、ルール違反に対して適切な制裁を科すための規定の整備を行っていかなければならない。