沖縄復帰37周年

1972年5月15日、沖縄は国連信託の米軍政から施政権を返還された。
考えてみれば沖縄が日本に帰ってきてからまだ40年も経っていないんだね。
沖縄が日本政府に統治されていない時代をいま50歳くらいのひとは記憶しているんだ。
戦中派にとっては祖国への復帰だけれども、沖縄団塊世代にとっては日本国は後から統治を開始した相対的存在なのかもしれない。
国民国家はもっとも弱い輪から崩れ出す。
ヤマトンチューは20年のTime-lagを沖縄民に対して恥じなくてはならない。
しかし一方沖縄返還という事態が世界史的には極めて希な幸運であったことも知らねばならない。
基地が残り核密約が結ばれたとしても、それらと比較にならないくらい大きな自民党の功績であることは客観的に認めなくてはならない。
  

沖縄の日:怒りの3800人 本土復帰38年の集いで
2010年5月15日 20時59分 更新:5月15日 21時6分
http://mainichi.jp/select/today/news/20100516k0000m040048000c.html
  

本土復帰から38年たっても変わらない重い基地負担の現状に怒りを込めてシュプレヒコールを繰り返す県民大会の参加者たち=沖縄県宜野湾市で2010年5月15日午後4時25分、金澤稔撮影 
  
 沖縄の本土復帰38年を迎えた15日、米軍普天間飛行場がある沖縄県宜野湾市で「平和とくらしを守る県民大会」があり、県内外から約3800人(主催者発表)が参加した。政権交代普天間の県外移設への期待が高まった沖縄だが、鳩山由紀夫首相は県内移設への方針転換を言明。大会会場では、38年たっても変わらない基地負担と、政権の裏切りへの怒りが「沖縄差別」との言葉で次々に飛び出し、悲憤が渦巻いた。
  
 大会あいさつに立った社民党照屋寛徳国対委員長衆院沖縄2区選出)は県外からの参加者に対し「みなさんには沖縄を差別する側に立たないでほしい。沖縄の基地問題を解決するため一緒に闘ってほしい」と呼びかけた。
  
 宜野湾市伊波洋一市長は「復帰後もますます基地が強化され、日本政府は県民の苦しみに無関心で、これ以上許すことはできない。普天間を閉鎖させ、新たな基地はつくらせない」と叫んだ。
  
 最後に「県内でのたらい回しを断念し、普天間閉鎖の対米交渉を開始せよ」とする宣言文を採択した。【井本義親】

  
追記)
それにしても復帰記念式典の記事が少ない。
この記事だって普天間絡みでの取り上げだ。
国家が独立を取り戻したという記念日になんという無関心だろうか。
いっておくが4月28日に独立を回復した、などという香具師に保守を名乗る資格はない。
この点はよしりんに完全に同意する。
やっと5月15日に日本は完全な独立を回復したのだ。
(ほんとは北方領土竹島があるけど、住民はいないからね(^^ゞ)
 
それにしても行政はちゃんと式典をしたのかなあ、ネットで調べてもわからない。。。
このイベントは社民党のものに過ぎない。
主査死者側発表で3800人というなら実際は1000人前後だろう。
しかも県外動員が半分以上ある悪寒。。。