天安門事件から「08憲章」へ

天安門事件から「08憲章」へ 〔中国民主化のための闘いと希望〕

天安門事件から「08憲章」へ 〔中国民主化のための闘いと希望〕

    

追記)
ところで序文を書いている子安宣邦ってのは反ヤスクニ活動で有名な爺さんなんだが、民主化という文脈から中共批判にコミットする点では中国に関する話になるとヘタレばっかりのニッポンサヨクのなかではましだなあと思う。こういう中共批判のサヨクとウヨクが討論したら面白いと思うんだ。
http://homepage1.nifty.com/koyasu/
  

国民学校=1941〜1945、ナチスドイツにならって尋常小中学校を改組誕生。この頃使われた呼称が小国民
ということはこの時期に小中学生だった世代を小国民世代とすれば、
1941年に14歳だった世代を最初とし1945年に6歳だった世代を最後とする、つまり1927〜1939年生まれの13年間に生まれた世代。
ただ、中学生なって急に小国民と言われてもあまり洗脳もされないだろうから実質的には1930年代世代と捉えていいだろう。

  
追記)
ところで漏れは爆笑問題の背の高い方が嫌いなのだ。
なんだか馬鹿の振りをしながら実は自分を賢いと思っている小賢しい馬鹿という気がするのだ。
背の低い方は嫌みが無くて好感をもっているのだが。。。
でいつもどっちが田中でどっちが太田なのかわからなくなるのだった。
そこでメモ。

(背の低い方=田中、高い方=太田)
 
まえにも書いたけど、太田はそこそこ使えるウスラサヨクってことでNHKはよく起用する。
その典型的な番組が『爆笑問題のニッポンの教養』なんだが、しょうもないサヨク学者を訪ねる様子は痛杉で見るに堪えず見ていない。(^_^)
でも子安を訪ねた回はなかなか面白かったらしい。
図らずもニッポンサヨクの奇形性は小国民世代の反動形成というのが明らかになったらしい。
   

FILE046:「『ニッポン』を疑え」2008年9月9日放送
 

 
子安宣邦(日本思想史)江戸時代、ニッポン人はいなかった!?今回は、ニッポンの成り立ちを、民族やDNAからではなく、意識の面から問い直す。日本、日本人、日本文化、“ニッポンの教養”・・・。普段は意識することもなく使う「ニッポン」という概念やイメージは、いったいどのようにして生まれたのか。それを歴史に現れた思想から解明しようとしているのが、日本思想史研究の第一人者・子安宣邦だ。子安は、古今の文献を調べると、「ニッポン」はもともと一貫してまとまって意識されたものではなかったという。「ニッポン」の形成には、朝鮮半島や中国大陸などの外国との接触が大きく影響しているというのだ。そして江戸時代の思想家・本居宣長がその原型を作り、明治以降初めて「ニッポン」は完成し、皆が「ニッポン」人になったという・・・!?果たして「ニッポン」は人工的に作られたものなのか、それとも自然に発生して伝えられてきたものなのか。番組史上に残る激論が勃発する!
 
子安宣邦(こやすのぶくに)
大阪大学名誉教授。元・日本思想史学会会長。 退官後も大学や市民講座で積極的に日本思想史を教え、各国の研究者と交流を続けている。 著書は『アジアはどう語られてきたか』など多数。
今回の対戦内容子安宣邦(こやすのぶくに)/爆笑問題(太田/田中)

太田:ごまかしてます、先生!
子安:何が? 何をごまかしている?
太田:先生は日本人ですよ。どう考えたって。それはもう否定出来ない。で、先生の親もそうだし、ずっと多分、これより前からそうだよ。そういう民族の流れは否定出来ないって。だけど、だけど縛られないっていうふうにしないと。
子安:違う、それは違うんだよ。だけど、その恐怖が何から起こってきたかというと、つまり日本・・・。
太田:そんなこと考えたってしょうがないです。何から起こったかなんてしょうがないです。日本人からそうなったんだから!
子安:それは違う違う。そういう、あなたが言っているそういうのは違う!

先生の対戦感想子安宣邦(こやすのぶくに)
 
僕は太田さんの発言の在り方は、かなり逆説的な発言だと思っているんですね。つまり、僕が意図していることをある程度了解しながら、あえてそれに対する一つの反論を言っているという。その反論が、ある世代的なね、戦後世代というか、完全な戦後世代と戦中世代の世代的な体験の背景というか、その違いを踏まえた形での逆説的な反論があって。
恐らくは僕の議論が持っている、あるいは僕の世代が心理的に隠しているとか、あるいは見ようとしないことですね。だから、そういう意味ではとても貴重な発言だったし、議論だったと思う。こういう議論っていうのは、僕は今まであまりしたことがないですね。初めてこの番組で出来た議論ですね。だから非常に意味があったというかね。確かにそれは、僕らのように少年時代、ちょっと戦争体験をしているような世代が持っている一つの思い込みがありますね。僕の考え方の中にはね。その思い込みみたいなものを、彼が教えてくれたという側面もあるね。大事な議論が出来たという気がします。

爆笑問題の対戦感想
 
田中:先生のお宅、立派でかっこよかったです。先生ご自身も白髪でおしゃれな方でしたね。
とっても深い話だったので、全部が全部理解出来たわけではありません。先生のおっしゃる「いわゆる日本ができたのは700年頃」っていうのと、「本当に日本ができたのはいわゆる近代の戦争の頃」っていうのと、僕の中で結局二つのどっちなのかっていうのも、ちょっとあまり分からなかったところもあったんですが・・・。
でも、それこそ言葉の問題なのかわからないけど、本当に中身としてできたというのとで、またきっと違ってくるだろうし、別に正解はないと思うんですよね、きっと。人によってここからがいわゆる日本っていう国が本当に出来た、認識された、みたいなことって。ちょっと深すぎる話になっちゃうので。難しかったですね、今日は。だから、太田と先生が途中までは多分同じことを言っているのかなと思ったら、最後は違っちゃうみたいなところが多かったような気がします。
途中、先生。何も言わなくなっちゃって、一瞬多摩川を見つめていた時がありましたね・・・。
優しい先生で良かったです。
 
太田:楽しかったですね。今日話したのは、世代を超えて胸に思っていることですよね。究極は「何で自分はここにいるんだろう?」っていう話なんでしょうけど。
僕ら世代とは違う経験をしているけれども、同じ場所にいて、同じくくりになっているわけです。だから、その時代・時代で多分、傷や経験やトラウマとか、そういうものの違いがある。解釈の仕方とか、自分の落としどころっていうのを、どうしてもそれは出来ないっていうことも違う。こっちは想像して言う。こっちもそれをまあ、僕はたかだか40年ぐらいの経験しかないんですけど、その中で経験したこともあるから。何か、分かり合いたいっていう感じはあったんですけどね。だからそれを、探り合っていたんじゃないですかね。
先生もその時代、何かに傷ついたんでしょうね。それが何なのかはおれには分からないけど。先生、収録が終わってから「最近なんだ、この境地に来たのは」って・・・。1980年ぐらいだと。戦後すぐにこうなったわけじゃないんだっていう。何かがそこに、まだ、とてもじゃないけど想像が付かない何かの変換があった。あの世代の人たちって、『必ず』と信じたものがひっくり返って、またひっくり返ってっていうことを繰り返しているから。それがもうずっとテーマですからね、言ってみれば一生の・・・。

ディレクター観戦後記
疑うことも、考えることも、認識することもできないもの−。
 
まるでオバケや幽霊ですが、子安宣邦先生が取り組んできた対象は、そのようなもののように思います。オバケとは何かといえば、私たちの疑いや考えや認識の「型」を規定している、いわば土台です。土台は、その土台にあらかじめ乗っかっているかぎり、それを認識することができないのです。別の言い方をすれば、認識できるのだが、その認識そのものが土台によってカタが決められているというわけです。なんと手ごわいオバケでしょう!

このオバケのひとつが今回のテーマである「ニッポン」です。
ニッポン、ニッポン人、ニッポンの教養・・・
普段意識することもなく使うイメージとしてのニッポン。私たちは、もともとこのイメージの土台の上で認識を発達させ見たり聞いたりしている。だから当然、疑うことも考えることもしない。ではこの不可視のオバケに、どう向き合えばいいのか。そのためには、その土台の上にいながら、土台の外からの視線で見なければならない…。
これは至難のワザです。

そういうわけで、子安先生の研究は、いっけん江戸時代や明治時代を扱っているため古めかしいようですが、実はかなり斬新でアクロバティックなものなのです。今回は、その妙技の一端を披露していただきました。

爆笑問題のお二人とのトークは、予想以上にヒートアップ。興味深かったのは、太田さんが鋭く指摘したように、子安先生の研究もまた“戦争を体験した世代”という土台の上でなされた、一種のオバケとの対決であったということです。

私たちはみな、なんらかのオバケに化かされているのかもしれません。そのことに気づいた時、どうするか…。

プロデューサーの編集後記 
思えば、この番組はいろんなことを疑ってきました。人間らしさって何?宇宙人は本当にいないの?見ている世界は本当に現実?・・・・学問の最前線は、時に既存の世界を根底からひっくり返すような「過激」なものです。その出発点は、当たり前に思っていることをふと「疑う」ことから始まるのかもしれません。
 そしてとうとう「ニッポン」を疑うことになりました。「ニッポンらしいね」とか「さすがニッポン」とかいう時の、「ニッポン」という意識はなぜ生まれたのか?そもそも本当にあるのか・・・? オリンピックの熱狂の後に、こんなテーマで激論するのも、この番組らしいかも!?
 「『ニッポン』という意識は自然発生的にできたのではない、時代時代で、いわばシナリオライターやプロデューサーの役回りをした人がいてまとめられたものだ」と子安先生はおっしゃいます。それに対し、日本一疑い深い漫才師(?)太田さんは反発します。「そうだとしても、もともとここで暮らす人たちの感覚や意識がまず『ニッポン』としてあるんじゃないか?」
 シナリオなのか?出演者の個性なのか?
 子安先生が、自らの戦争体験を語り始めた時、思いました。子安先生の世代は、様々な「ニッポン」という物語で登場人物になってきたのだ、と。それも出演を承諾したかどうかは問われず、シナリオさえすぐに変更されるような物語に。そんな劇的な物語は、太田さんと同世代の私は経験していません。そして、そんな時にはじまるのでしょう。「疑い」が。

http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20080909.html