簒奪者たち


  足利義満 1368-1394        朱元璋 1368-1398           李成桂 1335-1408
  
ところで、今更ながらではあるが、この3人って同時代人なんだよね〜
そして揃って王朝簒奪者ψ( `∇´ )ψ(義満は未遂・・・らしいけど)
そう考えると李氏朝鮮ってすげえな 室町時代のあとが近代(笑)
   
ところで以前にも書いた話として、高麗王朝の王妃はモンゴル人だし生まれた息子はモンゴルで教育を受けさせられたが、李氏朝鮮はさらに進んで最初から外国人による征服王朝じゃないかという疑惑がある。
wikiですら「但し現在では女真族の血が混じっていたとしても系図・文化のうえで高麗人の子孫であることはほぼ定説となっている。 」なんて書いているけど、誤魔化しだよなあ。というのは「系図・文化のうえで高麗人の子孫」ということの意味が不明だからだ。儒教朝鮮なら男系祖先が何人か?という一点が重要なんだが、どうも高祖父が女真人であることは確定らしい。その子孫に高麗人の女が嫁いで文化も混交したとしても、儒教的には女真人ということだろう。別に漏れにはどっちでもいい話なんだけどこういう誤魔化しされると不愉快なので指摘しておく。ちなみに朝鮮国の成立は1401年である。1393年は李成桂が権知朝鮮国事に任命された年だが、これは明朝の朝鮮国の知事という意味であって王ではない。だいたい李成桂は国号を自らの出身地の「和寧」にすることを望んだのに中華帝国の復興を目指す朱元璋はあえて古代中国が呼んだ「朝鮮」を押しつけた。この経緯も「朝鮮を望んだが当て馬に和寧を添えて選んでもらうという形式をとった」なんて具合に誤魔化している。日本人は韓国人の自我防衛につきあう必要はないのだからハッキリさせておこう。しかし韓国人もこの辺の事情を実はうすうす知っているからこそ朝鮮という呼称を嫌っているんではないか?
というわけで李成桂の肖像では青に龍3匹という明の下級知事のユニフォームを着ているのだ。孫の李芳遠の代になってやっと正式の朝鮮国王=明の知事に任命されたので太宗の衣装から赤に変わった。
 

「初代」朝鮮国王太宗 1367-1422     太祖の次が有名な世宗(大王) 1397-1450
   
ところで明朝でのユニフォームの順位は以下の通りらしい
   
・皇帝 黄色 龍×9
重臣 橙色 龍×7
・閣僚 白色 龍×5
・知事 赤色 龍×3
・官僚 緑色 龍×3
・官僚 青色 龍×3
・官僚 黒色 龍×3
   
なんだか黄〜赤系が上位で青〜黒系は下位なんだな。きっともっともらしい陰陽五行説とかの裏書きがあるんだろうけどパス
ちなみに琉球国王も赤色ですね。龍の数についてはよくわからない。
  

  

李成桂の四代前の高祖父は、名を「李安社」と言いますが、実は、彼の官職が問題なのです。
元朝(蒙古)の正史である『元史』には、李安社が、元朝に仕える地方官吏「達魯花赤」であったと記しています。
達魯花赤とは、蒙古帝国が占領併合した地域の統治官・行政長官として設置した官職で、現地の徴税・戸口調査・駅伝事務・民政一般・治安維持と言った行政全般を大汗(ハーン)に代わって執行した代官です。
そして、その達魯花赤には、稀に色目人(西・中央アジア出身者)が登用される事はあっても、原則として蒙古人(及び蒙古系女真人)が任命される事が慣例であり、当時の被支配階級であった支那人、ましてや「支那人の子分」に当たる高麗人が任官する事等到底あり得なかった訳です。
その達魯花赤に「高麗人」李成桂の高祖父である李安社が任官していた。通常では絶対あり得ない「高麗人」の達魯花赤任官。これは、李安社が「絶対あり得ない」異例中の異例としての任官を果たしたと言うよりも、寧ろ、李安社が高麗人では無かったと考えるのが極めて自然である訳です。
そして、それは取りも直さず、李成桂自身も純粋な「高麗人」では無かった ── おそらくは、女真人と高麗人の混血 ── だろうと言う答えに行き着きます。
   
URL:http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=5905