田母神問題(4)「属国日本」の現実@兵頭二十八

正論2009年3月号CrossLine

   
兵頭二十八は思慮深い右翼である。
彼は本気で日本の自衛自尊を考えているので、凡百の欲求不満解消型や自我補強型ウヨクの喜ぶような一見”タカ派”的なイベントにも冷ややかだ。その彼は最初から田母神論文を批判していた。その理由が『正論』の短いコラムで明言されていた。
まったくその通り!
(1)学術的に評価の定まらない陰謀論を主な論拠としていること
(2)日本側の不実な動きを不当に無視していること
(3)騙されたことを非難していること(子供じゃないんだから・・・)
漏れも「日本は侵略国家じゃない」と思っているけど、あれじゃ公人として杜撰すぎるよ。
   

 一九四一年十一月上旬の正式命令に基づき、日本の空母艦隊が佐伯湾を出向したのが十一月十八日。二十二日にいったん集結した択捉島の単冠湾は、米英ソの潜水艦から見張られ得る地形であった。二十六日に同艦隊が単冠湾を出撃したのは即座に偵知され、ソ連船の無線または海底ケーブルを利用して米本土まで通報されたと想像できる。その直後に「ハル・ノート」は冷淡な調子に書き改められた。これを逆恨みして誰が同情してくれるのか?(略)
 世界経営の通則や、米国政府の指導力・情報力についての「列強スタンダード」の想像力を欠いた逆恨み史観が、将官級幕僚勤務者の署名論考として公表され、それに対する閣僚級代議士たちのコメントも卑陋なレベルだったことにより、イデアの上で仮構されていた「アメリカとの同盟国日本」は消し飛び、「属国日本」の現実が戻ってきている。

1)勇気と文明と社会(前編):兵頭二十八先生
今回から、「勇気がない人間が、勇気がある人間になるには、どうすれば良いのか?」について、私の空想を展開します。
 
ふつうですと、「勇気」などといった無形のテーマで語り出す前には、その「勇気」の定義から入っていくものなんですが、それを確定するのは、12回の連載の途中になるでしょう。
 
いまは、こんなことを考えています。「言葉が相手に通じなかったときに、それでも何らかの方法で意思を伝える欲心を失わぬ者は、相手から見て、勇敢に見える」のではないかなと。
 
また、人間の勇気は、石器時代の商人のスキルが大いに進展させたであろう、とも思っています。
勇気は、戦士や喧嘩屋の専売特許ではない。むしろ、商人が開発したものだろうと思います。動物と人間の違いは、商人が生じたかどうか、です。
 
原始社会一般と「古代文明」の違いも、商人の密度でした。商人が集まったところに、人類の最初期のいくつかの古代文明は成立したのです。
文明は商人が創った。だから、人間固有の徳である「勇気」も、商人が開発したのではないか——と想像することができるのではありますまいか。
 
さて、いったい、原始時代の商人が、遠方の未知の部族とトレード(交易)をしようとするとき、どのくらいの危険を覚悟しなけりゃならないか。もちろん、言語は通じません。途中で、「道案内兼通訳」ぐらいは雇っていかなければならない。
その通訳も通じないときは、何か別なサインを発する方法で、危険な相手との交渉を切り抜けなければならない。その自信が、出発前に、あらかじめ必要です。
「自分は過去にいろいろな世界のいろいろな人間と交渉してきた。だから、いろいろな人間の感情のパターンについて、よく知っているのだ」と思っていた。この自信をいちばん早く獲得できたのも、商人でしょう。
 
交易は、双方に利益があるから、始まってしまえば、そのあとはもうルーチンのようにして、継続します。しかし、それを最初に始めるときは、難しい。もちかける側に、命の危険がありました。
 
なにせ原始時代は、一定の土地から得られる産物に、きびしい上限があって、ごくわずかな住人(ポピュレーション)しか、許容できなかったんです。
古事記』の前半に、木の股に挟まれて死ぬという話が数回、出てくるのですが、ああいうのは、狩猟採集時代の、「ソ」(クメール人)や高砂族による、縄張り境界防衛のためのブービートラップを象徴しているのです。道案内なしに他部族のナワバリに踏み込むと、侵入者は仕掛け罠や毒矢で殺されてしまう。それが原始時代です。
共産党員だった佐原真氏が、弥生時代に鏃[やじり]が重くなっている事実は、侵略戦争が盛んになったという証拠であり、縄文時代は平和共存のパラダイスだったと示唆しましたが、縄文時代に戦争や人殺しがなかったわけではない。縄文時代には、地方部族の境界線の防禦がお互いに厳重で万全であったのです。臨戦態勢での相互不可侵が保たれていたのです。
 
原始時代の商人は、言葉の通じない、しかも余所者を受け入れる気のまったくない他部族に対し、どのような動機から、命のリスクを冒して、交易の話をもちかけたのでしょうか。
 
それは、「お互いに得をするじゃないか」という確信でしょう。
 
俺が得をして、おまえが損をするという話じゃないんだ。お互いに得になるんだ——と説諭に努めたはずです。
 
この強い欲心と自信が核にあるから、さいしょ、相手から邪険に拒否されても、あるいは、こちらかが伝えようとしている意図がよく理解されなくても、それを乗り越えてなんとか説得しようとするのです。これは、相手からみると「勇気ある」行動に見えます。
 
言語的存在である人間は、相手の外面の中に、言語を感じます。その内側に蔵されている言語の強弱を、互いに読んでいるのです。
 
そういう勇気ある商人が、交易の最前線に密集すると、そこに一挙に、古代文明が成立したのです。なにも、ゴリラみたいな暴力ボスが文明をつくったわけじゃありません。
石器時代に、体力的に人類最強の男がいたとして、彼ははたして一度に何人の他人を支配できるのか、頭の中で考えてみてください。おそらく、手頃な石ころを投げることのできる5人の敵に昼夜、命を狙われたら、そのスーパーマンは、夜も眠ることができず、疲れきってしまい、10日もしないうちに、暗殺されてしまうのではないですか。
言語の力は「おれの味方になり、おれを殺させないことは、おまえにとっても得だよ」と、他者に確信させるところに、発揮されます。これによって、文明社会のボスは、夜も高枕で眠れた。自分のために夜警を勤めてくれる部下は、暴力で監視されているのではありません。言葉の予測理論に納得して行動しているのです。
言語によって、他者の行動を左右できない者は、人間社会でのしあがることができません。
 
この言語のことを古代ギリシャ人は「ロゴス」と呼び、それは「理屈」と同じ意味なんです。
理屈は、言語でしか考えられません。言語のない動物の頭の中には、どんな理屈も生まれません。
古代のシナ人が、「義」がベースにないと「勇」も発揮できない、と見抜いているのも、じつは同じことです。(最初のシナ文明は、今のベトナムあたりから北上した交易商人が、黄河の流域につくりました。そこが商業の最前線で、広い地域から商人が集まるセンターになったからです。)
 
じぶんの方に「義」、つまり正しい理屈があると考えている者は、実力のぶつけ合いで旗色が悪くても、「負けた」という気にはならない。これは、言語によって社会をつくってサバイバルする動物である人間だけの特性です。
 
チンピラ同士の喧嘩口論でも、やっぱり、比較してヨリ筋の通っている側が、腕っ節の強さとは無関係に、優勢になるものです。(江戸時代の山崎闇斎学派が、「義」について、そのようなことを言っています。)
 
言葉は、他者の行動を左右できるだけでなく、それを発した自分の行動も左右する。
つまり人間社会では、「言い負けない」ことは、屈服しないこととイコールになる。相手としては、物理的に殺してその口を封ずる以外に、対手の理論を封ずることができません。ところが、物理的に人を殺すことが安全・安価・有利になることは、石器時代の社会でも、稀でした。思い出してください。1人のスーパーマンも、5人の社会を敵にまわすことはできないのです。ですから、原始時代でも、正しい理屈をともなわない犯罪をしでかした者は、社会によって捕えられて、罰をうけなければなりませんでした。
 
そこからまた、人間の勇気の根源には、どうしても言語的な「納得」「得心」「自信」が不可欠だとも言えるのです。
「言語による戦争」のトレーニングのできていない人は、フィジカルな喧嘩でも、「収めどころ」を自分の好きなように誘導できる自信が持てません。しかもそのことを幼少からの体験によって自分でよく予測できるものですから、けっきょく、いくら他者よりも腕力がまさろうと、また、格闘技や武術や暗殺の技をオタッキーなまでにいろいろと知っていても、喧嘩を自分のイニシアチブで始めることはできません。終わらせ方に自信がないので、始めることをためらってしまうのです。
 
この事情が一変するのが、ライオット(群集暴動)の夜です。
夜は顔の識別がしにくいので、誰が悪いことをしたか、よく分からない。すると、言語トレーニングのできていない男が、「収めどころ」を気にすることなく、暴力を行使することができると判断します。
日頃、一対一の喧嘩などできもしないヘタレが、何かの偶然の成り行きでライオットや「集団イジメ」に加わると、予測できないような暴虐行為をやってのけることが、ときどき観察されるでしょう。
じつはそのヘタレ君は、他人をいためつける方法は、長年の雑学として、あるいはマニアックな興味追求の蓄積として、人並み以上に良く知っていたのですが、それを日常、単独では決して試行できなかった。けっきょく、言語のトレーニングが未熟だと、人前では行動ができなくなる。勇気は言語に収斂するのです。
 
言語のトレーニングを積んでいる個人は、自分に不利な結果に進展した後の対処に自信をもっているので、自分のイニシアチブで人に喧嘩をふっかけることが可能になるのです。はじめに、頭の中に言葉がある。言葉があって、勇気がわくのです。
 
ただし、平生、大言壮語している者は、実戦では臆病で使い物になりません。日頃、誠実な兵隊だけが、修羅場でも頼りになるとされる。これは古今東西の、兵隊の実相です。
言葉は自分の行動も左右してしまうからです。大言壮語するというのは、できもしないことを語る癖ですから、およそ「義務」とは無縁の人格ができあがってしまいます。商人の場合、できもしないことを相手に約束すれば、信用を落とし、じきに左前となるでしょう。軍人は、実戦にならないと、信用できるかどうか判明しないのですけれども、商人は、平時から、それが判明する。それだけ、文明を早く進歩させることができました。
 
日頃、誠実な兵隊は、自分の果たすべき責任や、持ち場を放棄した場合の将来の非難譴責について、ふだんから自分のロゴスで納得をしていますので、それが「自分だけ逃げない」という行動につながるのです。
ただし兵隊が苦境下で仲間といっしょに奮戦するのは、これは平時に街の中や社長室でじぶんから喧嘩を開始する勇気よりも、はるかに心理的葛藤のレベルは低いですね。冒険商人が一人で未知の部族と交渉に臨もうという勇気とも、同日の談ではないでしょう。
 
喧嘩の心理戦術としてならばともかく、平時に、未知のことについて大言壮語をしないという慎みを守ることは、未知のことを恐れる用心の裏返しです。
晩学の儒学者であった熊沢蕃山が、江戸時代の初めに、こんな批評を残しています。――近年、見ず知らずの大人の前に出てきて平然と利口そうに物を言う、驚くべき子供が散見され、周囲の大人たちもそれを利発だとして手を叩いて悦んでいるが、そんな「神童」が成人すると皆、凡庸にしか育っていない。それは当然で、未知のものに対する恐怖や用心がないのは、むしろ馬鹿の証拠だったのである、と。
大人の腕力は子供を容易に殺傷することも可能なのですから、子供が未知の大人を警戒し、まず安全かどうか観察し、相手が自分に対して好感をもっていると確認できてからでないとうちとけないというのが、危険回避の上で、ロジカル(論理的)で合理的な行動であるわけです。
百戦錬磨の商人は、初対面の大人を一瞥しただけで、その危険度を予測できますけれども、子供にそんな経験や眼識が備わっているわけがありませんよね。
  
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