中国は国ではない世界なのだ


 
自慢する訳じゃないが、漏れは20年以上前から「中国」は国ではなく地域であると言っていた。
厳密に語るときは「中国」という「国」なのか「地域」なのか混乱する名称は避け、中立的なシナ(支那)と呼ぶべきなのだ。
匹敵する概念は欧州とかアメリカであり、欧州民族とかアメリカ民族が没概念であるのと同じように中国民族(中華民族)というのも虚構なのだ。
  
というわけで、正直、副島さんの新エントリーを読んで、いまごろこんなこと言っているのかとちょっと優越感?を持った。
ただ、凡百の中国崩壊論者と違い中国発展論であるところは同感である。
自由も民主主義も発展の必須条件ではない。それまでよりマシになるなら発展が続くのである。
中国のこれまではあまりにも酷すぎたから、逆にこれからも発展できるのだ。
   
欧州の歴史とシナの歴史は奇妙に並行している。どちらも現在主流の民族は古代文明の担い手となった民族ではなく、後に北方からやってきた蛮族の末裔なのである。だから漢族に匹敵するのはゲルマン民族であり、中華民族思想というのはアーリア民族思想と同じ非歴史的な人種差別思想racismなのだ。すると第三帝国を目指したヒトラーと中華皇帝を自認した毛沢東の類似性もよく理解できるだろう。実際には欧州人は様々な人種の混交でありアーリア人などというものは存在しない。同じように歴史貫通的な中国人など存在しない。ギリシア・ローマ文明が近代西欧文明に直結しないように、古代中国文明は現代中国とは繋がっていないのである。アルファベットを使いラテン語古典を読むからと言って、漢字を使い、漢文古典を読むからと言って、正嫡というわけではないのである。だから「♪我ら中国人」と歌うのを聞いて「ついに中国人も国民国家になりつつあるんだなぁ」と慨嘆するのは甘すぎて「♪我らアーリア人」とナチが歌うのを聞くのと同様の恐怖を感じるべきなのだ。
 
ところで、日本は建国の経緯から言ってもシナ大陸に対する恐怖がbuilt-inされている。世界中にあふれ出しては現地社会を浸食するガン細胞のような「中国人」というものを嫌悪している。しかしその怖れは歴史的には正当なものなのだ。日本は狭量になってゆく中国に軍事的にはもとよりidentityを浸食されないようもっともっとキャラ立ちする必要がある。そして日本とシナの違いをわかりやすく欧米人に説明することだ。21世紀の国体明徴運動だ(^_^)。21世紀に数千万人を虐殺した毛沢東の肖像を掲げる独裁政党が14億人を支配する異常さをわかってもらうことだ。
 
だが、よく考えてみれば、欧米人、異に「ゲルマン民族」こそ、世界中の「未開地」に勝手に住み着き原住民を虐殺し支配したガン細胞のような民族なのだ。北中南米はもとより豪州ニュージーランドまで、地元民を差し置いて勝手に国家を作ったのは白人である。歴史的にはシナ人よりたちが悪い。まぁそれを現代にやろうとしているところが中国の悪いところなんだが。
よって欧米批判は中国批判と平衡しなければ理念的バイアスがあると言わざるを得ないし、その逆も真なのである。
 

上海や、北京の市民たちは、田舎から出てきて、労働をしている地方出身者たちを、まるで被差別民のように邪険に扱う。本当に見下げるように地方からの人間を差別する。これが今の中国社会の基本骨格です。 一等国民 と 二等国民の区別のようだ。
この事実には驚きます。 
 
 上海人たちは、なべて共産党政府が嫌いであり、共産党の幹部たちと官僚たち(中央書記局の書記たち)の悪口を平気で言う。だから中国も今のような共産党一党独裁体制(非民主政治)をいつまでも続けてはいられなくなる。
 
 それでも、上海人たちは、自分たちをヨーロッパ全体(EU)の中のフランス人のように感じているのか、ほかの省から出てきた出稼ぎ農民(民工、みんこう)たちを、悪しざまに嫌って蔑(さげす)む。
 
 私は鋭くこのことに気づいた。つまり、中国というのはただの国ではなくて、23省あわせて、全部で、ヨーロッパのようなものであり、連邦国家のようであり、ひとつで大きな地域( region リージョン、レジオン)なのです。このように考えれば、納得が行く。だから北京はさしずめイギリスであり、広東省は、イタリアのようです。
 
 このように考えると、ヨーロッパ人が互いに国語が少しずつ違うように、中国人は、省ごとに言葉が違って、話し言葉(spoken language 、スポークン・ランゲッジ)は互いに全く通じなかった。書き言葉(written language リトン・ランゲッジ)は漢字の漢文だから、ほとんどそのまま読めて通じる。この事実は、今でも大変、不思議な気がします。
 
  ところが、中国ではこの10年の間に、すっかり言語教育が変わって、今は、どこの省でも、北京語=普通語(プー・トン・ホア)=標準語を学校教育で教えるから、皆が話して、北京語で歌が歌えるようになった。特にこの5年間の、中国の言語統一の急速な発達は注目に値する。
 
 つい5年前までは、広東省(香港となり) の人たちは、北京語のことを、田舎くさい、ズーズー弁のようで、話したくない、といって話そうとしなかった。ところが今は、平気で使うようになっている。却(かえ)って広東語の方が方言になってしまって、やがて滅びそうである。
 
 香港やシンガポールでも、もう地元の広東語(かんとんご)は、高齢者と共に死滅しつつあるといってよい。学校教育ではすべての省が、北京語で教えるようになっているようだ。このことの重大さを指摘する中国研究者の有識者はあまりいない。私は、この中国語(漢語、かんご)での統一というのは、ものすごく重要なことだと判定している。
 
 中国は、今、言語と文化の統一の面からひとつの帝国になりつつある。そして、「我ら中国人は団結して世界に羽ばたく」 というポップスのヒット曲がある。有名な歌手たちが、公式の場でも歌っている。中国人であれば若者たちが皆この歌を歌えるようだ。「我ら中国人」という歌である。中国恐るべし。 
 
 ほんのつい数年まで、中国は、やがて大混乱を起こして、内部で分裂して衰退する、と盛んに論文のようなものを書いた、おかしな中国研究者たちがいた。彼らは今、どういうことを言っているのか。 おそらく中国の各省ごとで言葉互いにが通じない(通じなかった)という歴史事実を利用して、中国はそのうち分裂する論を唱えたのだろう。
 
 中国は、北京(ペキン)に、皇帝(ファンディ)という独裁者がいて、この恐ろしい支配者が、全体を束ねるから、だから、分裂などしないのだ。毛沢東はまさしく残忍な「赤い皇帝」だった。 このことは中国に一度でも行って、現地の中国人と話し合ってみれば分かることだ。 
 
 上海の、共産党嫌いの「上海民主連盟」の人たちでも、上海ではなくて、北京の方に政治の中心があって自分たちを強圧的に支配している。だから逆らえない。このことを 彼ら上海人たちは仕方なく受け容れている。このことも、私のわずかの中国研究から分かったことです。
http://snsi-j.jp/boyaki/diary.cgi

 
追記)
ところで何度も書くけれど、なぜそんな中国共産党を欧米が認めているのか。
たちまちの経済的利益だけではなく、中国を管理する、特に人口を増やさせない、という実績を認められているのが大きいのだと思う。これがイスラム世界にはない。誰もイスラムの暴走を抑えられないし、過剰人口は欧州に溢れだしてくる。これが欧州住民はイヤでイヤで仕方ないのだ。アフリカもそう。欧州人は本音のところでは黒人より野生動物のほうを大事に思っている。愚かな黒人どもが殺し合いをするのは勝手だが欧州まで溢れてこないでほしい、豊かな「自然遺産」を損ねないでほしい。これが率直な気持ちだろう。