加藤周一死去


 
かねてからの予言どおり?「戦後民主主義」=敗戦民主主義の論客が亡び始めた。
戦後民主主義は普遍的なロジックを作れなかったが故に、世代の感情とともに終わりつつある。
右派のうちには喜ぶむきもあるようだが、論争の後の発展的終焉でないのでは決して喜ぶべきことではない。
だいたい「右だろうが左だろうが我が祖国」なんだからいくら論敵政敵とはいえ死を喜ぶがごときは倫理に悖るだろが。
筑紫哲也に関しての一部右派?の言動は許し難い。
  
それはそうとして、漏れは一度も加藤周一に関心をもったことがない。
みんな崇めるのだけど、漏れはいくら読んでもピンとこなかった。それこそ朝日新聞のテンプレを読むようなつまらなさで、よくわからないのだった。
もしかしたら朝日的テンプレを作った人という意味で空気のような人だったのかもしれない。
なんとなく「いいだもも」と双璧の優等生サヨクの典型のような気がした。まだ吉本隆明のほうがわかる。福田恒存はよくわかる。
 
追記)ここで告白。漏れは夕日妄語をずっと「ゆうひもうご」だと思ってました(ノ∀`)アチャー
   

「日本文学史序説」「九条の会」設立 加藤周一さん死去2008年12月6日0時35分
 
 戦後日本を代表する知識人で、和漢洋にまたがる幅広く深い教養をもとに、政治や社会、文化を縦横に論じた評論家、加藤周一(かとう・しゅういち)さんが、5日午後2時、多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。89歳だった。葬儀は近親者で行い、後日、お別れの会を開く予定。喪主は妻の矢島翠(やじま・みどり)さん。
 
 東京生まれで、元々は東大医学部で血液学を専攻した医師だった。が、1942年、作家の中村真一郎福永武彦らと新しい詩の運動グループ「マチネ・ポエティク」を結成。戦後に共同出版した「1946・文学的考察」で注目される。
 
 58年、第2回アジア・アフリカ作家会議参加を機に医師を辞め、評論と創作活動に専念する。日本文化の雑種性を指摘した「雑種文化」や自伝「羊の歌」、共同研究「日本人の死生観」などを経て、「日本文学史序説」で80年に大佛次郎賞受賞。
 
 活動は国内にとどまらず、米、独、カナダなど多くの海外の大学から招かれて教壇に立ち、日本文化などを講義した。文化、芸術だけにとどまらず、常にリベラルな立場から、核問題や安保問題などの現実問題にも積極的に発言し続けた。04年には作家の大江健三郎さんらと、憲法9条を守ろうと「九条の会」を設立した。その旺盛な評論と創作活動に対し、94年、朝日賞が、00年にはフランス政府からレジオン・ドヌール勲章が贈られた。
 
 また、本紙文化面に80年から「山中人かん話(さんちゅうじんかんわ、かんは門がまえに月)」、84年から「夕陽妄語(せきようもうご)」を書き継ぎ、多くのファンをもった。著書は「加藤周一著作集」(全24巻)ほか多数。
 
 88年4月から立命館大国際関係学部の客員教授を務め、92年5月にオープンした、戦争の記録や平和運動の資料などを展示する博物館「立命館大学国際平和ミュージアム」(京都市北区)の初代館長に就任した。
 
URL:http://www.asahi.com/obituaries/update/1206/TKY200812050387.html