勤労感謝の日

  

  
つまり、
   
 稲刈り開始→最初の収穫を神に感謝する=神嘗祭
 稲刈り終了→新穀を神に感謝する=相嘗祭(主要神社)新嘗祭(宮中・伊勢神宮=グランフィナーレ)
  
というわけなのだ。
実に季節感があってよいお祭りだと思う。
   
ところで、それはそうとして戦後の祭日の趣旨からは「労働」について考える日であるべきなのだが、ほとんどそれらしいイベントが無かった。
主要五紙社説でも関係あったのは日経と讀賣だけ。
しかしその内容も興味深い。日経は相も変わらず「外国人労働者受け入れ」の宣伝。讀賣は「ロスジェネ救え」である。
漏れ的にはまず日本国民をどうするかを論ずる讀賣に好感をもったが、日経の論調がちょっと変わってきたのにおや?と思った。
昔は「人口減少=労働力減少・国内市場縮小→外国人をどんどん増やせ!」一本槍だったのに、今回社説では外国人増によるネガティブ面も指摘しつつ、足下の外国人労働者対策を急げという内容に後退している。そりゃ、これだけ不況でリストラの嵐→外国人労働者余りまくりの状況では、「労働者が足りないから移民を!」とは叫びにくいよね。逆に言えば日本人ですらなかなか仕事に就けない状況で外国人を歓迎するのってただの賃下げじゃないの?という事実が誰の目にもはっきりしてしまったからねぇ。
日本人の間でさえ”格差”や不安定就労が問題になっている状況下で外国人の労働条件がそれ以上であるわけがない。外国人が最初から最底辺の労働力として要求されているのがバレバレである。更に言うなら、ニートやフリーターがまともな職を得られないのは職を選んで贅沢だからだ、という主張も昨今の格差議論の中でできにくくなった。ということは、昨今の人手不足は必死に職を求める日本人でも忌避するほど労働条件が悪いせいということではないか。そのような悪質な労働環境に外国人を就労させようとすること自体が人権問題である。
外国人だっておなじ人間だ。事情のわからない来日当初を過ぎれば日本人と同じように劣悪労働を忌避するのが当然である。劣悪労働の担い手を確保するために延々外国の貧乏人を騙しつづけるつもりなのか?外国人もすぐに日本人貧困層と同質化して格差問題を深刻化させることになるのは明白ではないか。外国人だから格差があっても良いとでも言うのか?外国人は短期の出稼ぎだから帰ってもらえばいいというのは無責任である。事実問題として諸外国で出稼ぎ外国人は帰国しないで居座る傾向が強い。中長期の労働を認めるなら経済基盤が日本にしか無くなるのだから日本に定住を望むのが自然だ。さらにいえば、諸外国ではすでに安価労働力の獲得競争に入っている。日本の場合多量移民が望めるのは中国人貧民しかあり得ない。彼らが敢えて中国に帰国を選択するか考えてみればわかることだ。
ニート・フリーター・引き籠もりは合計300万人に上るようである。しかし、諸外国では同様の問題はあまり指摘されない。これは諸外国では失業の範疇に包摂されるからだ。日本では親子同居で成年者の被扶養に寛容な慣習から失業者が自活しないで済むため失業問題化が隠蔽されているだけだ。若者の正社員率が50%を切り300万人もの若年失業者がいるのというのは大問題である。自国民の大失業時代に外国人大量受け入れなど普通の国ではとても口にできない暴論である。それを外国人排斥=ウヨクと言われたくなくて指摘できないニッポンサヨクはますます信用を失うだろう。そのサヨクが批判されるのはウヨクだからじゃないんだってば。
  

勤労感謝の日新嘗祭
 
勤労感謝の日は戦後国民の祝日が定められた際(1948)に「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」という趣旨で定められました。
アメリカのLabor Day に相当するものと思われますが(*1)、アメリカのLaborDayは9月の第1月曜です。
しかしこの11月23日は明らかに新嘗祭を意識して定められたものということで、論者の間にも意見の相違はないものと思われます。
 
新嘗祭(にいなめさい)は古くからの国家の重要な行事であり「瑞穂の国」の祭祀を司る最高責任者である大王(おおきみ,天皇)が国民を代表して、農作物の恵みに感謝する式典でした。
「新嘗」とはその年収穫された新しい穀物のことをいいます。

律令制度のもとでは、季秋(9月)11日に神嘗祭(かんなめのまつり),仲冬(11月)の最初の卯の日に相嘗祭(あいなめのまつり),2番目の卯の日に新嘗祭(にいなめのまつり)を行うことになっていました。
この新嘗祭のうち、天皇が即位してから最初に行うものを特に大嘗祭(おおなめのまつり)といい、これが実質的にその天皇の即位を天下に知らしめる大規模な祭典となっていました。
 
現在は新暦に移行したため、伊勢神宮では10月の15〜25日に神嘗祭、11月23日に新嘗祭を実施しています。宮中では10月17日が神嘗祭,11月23日が新嘗祭です。
昔はその年の新米は新嘗祭が終わるまでは誰も食べないのが習慣でした。陰暦の11月の第二卯日というと太陽暦で見ればこれはちょうど冬至頃に相当します。
 
日本には昔からいろいろなダブルスタンダードがあるのですが、基本的に公式の暦は中国風に立春から始めるということになってはいても、実はここに農業民族最大の祭典である新嘗祭をほぼ冬至に行うということで本当は1年を冬至から始めていたわけです。
新嘗祭はつまり本当は新年の祭りであり、だからこそ、大規模な式典が行われ、天皇にとっても重要な儀式であったわけです。
 
新嘗祭がいつ頃から行われていたのかは必ずしもはっきりしないのですが、日本書紀皇極天皇元年(642)の11月16日に新嘗祭の記述があるのが文献に出てくる最初です。
この日は西暦では642年12月12日(グレゴリウス暦642年12月15日)で干支は丁卯にあたり、既にこの時代には新嘗祭は11月の第二卯日というのが、確立していたのでしょう。
 
昔は新嘗祭の前日(つまり大晦日)には鎮魂祭(たましずめのまつり)が行われ、翌日に群臣が小忌衣を着て集まって豊明節会(とよあかりのせちえ)が行われ、各氏族の自慢の姫たちによる五節舞(ごせちのまい)が舞われました。
むろんその中で大王が目を留めた姫はそのまま入内する意味も兼ねていたようです。
 
http://www.ffortune.net/calen/maturi/11/niiname.htm

宮中では神嘗祭とは別に、旧暦11月に新嘗祭を行います。
 
神嘗祭の後、初穂は天皇の近親者の陵墓に捧げられました。
天皇が神と共に親しく新穀を食する祭りが、新嘗祭です。
そして稲の刈り上げが完了し、稲作が成就したことを祝います。
 
http://wa-no-kokoro.blog.so-net.ne.jp/2008-09-06

   

社説 人材開国を考える 50年後を見据えて「外国人政策」を(11/23)
    
 外国人労働者受け入れが加速したのは1990年代初めだった。途上国の人材育成に貢献することを目指した研修・技能実習制度が本格的に動きだし、一方でブラジルなどの日系人についてはほぼ無制限で受け入れる制度が始まった。
   
 その結果、増え続けていた不法就労・不法滞在は徐々に下火になってきた。だが、これまでも繰り返し指摘してきたように、現行の制度も様々な問題をはらんでいる。
   
ほぼ20年ぶりの大改革

 1つは研修・技能実習制度が単純労働力を低賃金で受け入れる裏道として利用されていることだ。「途上国の人材育成」という制度の理念と実際に制度を利用する企業などのニーズがかけ離れているのである。

 結果として、多くの研修・技能実習生が実態は労働者なのに労働者として当然の法的な保護を受けられない状況に陥っている。最低賃金を下回る給与しか払わなかったり、パスポートを押収したりする人権侵害や法令違反が各地で頻発している。

 政府は、2009年に出入国管理法などの改正案を提出することを目指して改革案の検討を進めている。ほぼ20年ぶりの大改革となる。ただ、厚生労働省経済産業省がたたき台として示してきた案をみる限り、雇用者への監督強化や違反に対する罰則強化など、小手先の改革案にとどまっている印象が強い。

 厚労省経産省の案のように「単純労働力は受け入れない」という建前を前提にして考えると抜本改革の展望は開けない。「人手不足を外国人労働者で補う必要がある」と正直に認めたうえで、新たな受け入れ制度を考えるべきだ。多くの国が採用しているような、期間3年程度の就労ビサ(入国査証)を発給する短期就労制度は参考になるはずだ。

 日系人の増加で問題となっているのは外国人を受け入れる環境・基盤の不備である。たとえば、日本語教育のシステムやカリキュラムを国として整える努力を怠ってきた。また、転居する際に市町村へ転出・転入届を出すことを外国人には義務づけていないため、自治体は外国人の居住実態を把握するのが難しい。

 こうしたインフラの不備は、帰国した中国残留孤児などにとっても大問題だ。総合的・体系的に取り組むことが不可欠で、省庁縦割り的な対応では限界がある。

 日本経済団体連合会は10月に発表した提言の中で、外国からの人材受け入れを担当する閣僚の設置と関係省庁が一体となって取り組む体制の整備を訴えている。

 経団連の提言は長期的な観点から「日本型移民政策」の検討も求めている。根底にあるのは、今後50年間で人口が4000万人近く減り特に生産年齢人口はほぼ半減する見通しであることへの強い危機感だ。

 さらに、消費や住宅投資などの内需の縮小も加わって経済は活力を失い、膨大な負債を抱えた財政や年金は維持しにくくなる。医療・介護や教育、治安・防災といった経済社会インフラが揺らぐ……。

 提言が展望する50年後の日本の姿はかなり悲惨であり、日本の経済社会の活力を維持するため相当規模の移民を受け入れるべきだとの議論にはそれなりに説得力がある。

 自民党の外国人材交流議員連盟が6月にまとめた提言はさらに踏み込んで「今後50年で1000万人の移民を受け入れよう」と訴えた。

足元の課題を踏まえて

 一方、日本経済調査協議会が9月に出した提言は、外国人労働力を大量に受け入れた欧州諸国で社会問題が発生しているのを踏まえ、移民の受け入れには慎重だ。工場労働者など高度ではない働き手は単身赴任とし、能力開発の程度に応じて1―5年で帰国してもらうのを基本とする。そのなかで特に能力を高めた人は「高度人材」と認定して定住を前提にした就労を認める――といったアイデアを示している。

 言うまでもなく、人口減・労働人口減対策としてまず必要なのは少子化を食い止め出産を増やすための努力や女性の社会進出の応援である。現状程度の外国人の受け入れでさえ問題が頻発しているのが実情で、大規模な外国人の受け入れや定住を前提とした移民の本格的な受け入れは社会に深刻な摩擦をもたらしかねない。慎重な議論が求められる。

 とはいえ、日本語教育などの体制整備や外国人向けの住民台帳制度の創設など、足元の課題に対応していくことは今後、多くの外国人材に頼らざるを得なくなったときのためのインフラを整えることにもなる。

 どの程度の規模の外国人労働者をどのような形で受け入れるのか。50年後を見据えた「外国人政策」を包括的に検討するときである。
   
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20081122AS1K2100C22112008.html

若者自立対策 支援の輪から外さぬ工夫を(11月23日付・読売社説)
   
 活力のある社会をつくるには、ニート若年無業者)や引きこもりなどの若者への支援が欠かせない。政府は具体策を急がねばならない。
   
 政府の教育再生懇談会の下に設けられた「子どもと若者総合支援勉強会」が、提言をまとめた。対象はニートなどのほか、フリーターや不登校の児童生徒、高校中退者ら、さまざまな問題や困難を抱えた青少年だ。
    
 ニートは62万人、フリーターは181万人、引きこもりも30万人前後に上るという。減少傾向にあるとはいえ、なお多い。
  
 ニートや引きこもりなどを放置すれば、所得格差の増大や社会保障制度の不安定化を招き、国全体の将来が揺らぎかねない。
   
 行政機関や民間団体が多様な支援策を講じているが、関係機関相互の連携は密接とは言い難い。提言は、協力関係を強めると同時に、利用しやすい総合的な窓口を地方と国に設けるよう求めた。
    
 特に市区町村単位の窓口には、あらゆる相談に対応でき、適切な関係機関につなぐ専門スタッフを配置することも提案した。的確な判断には知識と経験が必要だ。
   
 内閣府は、今年度から人材養成プログラムを試行している。支援を効果的に進めるには、こうした人材の育成がカギになる。
   
 提言は、問題への早期対応と継続的な支援の重要性も強調した。問題がこじれる前に手当てをした方が、解決しやすいからだ。
   
 若者の自立支援に積極的な高知県の場合、ニート、引きこもりの4割が不登校経験者だという。早期支援に果たすべき学校の役割と責任は大きい。
   
 小中学校の不登校は13万人、高校の中退者は毎年7万人余りいる。中退などで学校の目が届かなくなると、就労など自立のための支援をしにくくなってしまう。
    
 こうした若者は、自ら相談には来ない傾向が強いという。支援の輪から漏れてしまうことのないよう、支援者の方から直接出向くことも大切だろう。
   
 麻生首相は就任後の所信表明演説で、「困っている若者に自立を促し、手を差し伸べるための新法も検討する」と述べた。内閣府では、新たな法的措置も視野に、関係省庁との協議を始めた。
    
 首相は追加景気対策の中でも、年長のフリーターを積極的に雇用する企業への奨励金支給などを打ち出した。若者自身の意欲や努力を引き出すことのできるような実効性のある施策を、さらに検討してもらいたい。
   
(2008年11月23日02時23分 読売新聞)
   
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20081123-OYT1T00062.htm