原爆論議ふたたび

   

   
原爆論争は因果確定だから明白な結論がだせるものではないだろう。しかし歴史学的ではやがて不必要論が主流になるだろう。
だが、それはそれとして、不愉快な提起にも理性的に議論できる、その社会的成熟はウラヤマシス。
   
あとちょっと面白かったのは、名門『週間東洋経済』の記者にとっても、「従軍慰安婦」問題やノリミツ・オオニシデマゴギーは明らかだと認識していることだ。
いまだに大手マスコミでは「南京大虐殺」・「従軍慰安婦」・「強制連行」の否定をできないでいるが、漏れの実感としては普通の人(イデオロギー的な確信を持っている人や政治運動している人じゃない人たち)はすでに見切っている感がする。これって社会主義が見切られた90年代のころと状況が似ている。結局団塊ジジイが引退するまでの道楽なんじゃないかなあ。
   

《若手記者・スタンフォード留学記14》ヒロシマナガサキは本当に必要だったのか? 米国で再燃する『原爆』論議 - 08/11/19 | 16:40
    
 最近、日本では前航空幕僚長の論文が話題になっているようですが、米国ではここ数年、ヒロシマナガサキの原爆に関する議論が静かに盛り上がっています。
    
 私の過去1年のスタンフォード生活においても、原爆の話は授業で2回取り上げられましたし、原爆がらみのセミナーもしばしば開かれています。さらに、最新号の「フォーリン・アフェアーズ」の書評欄には、原爆関連の本が3冊も紹介されています。
   
 今になって、なぜ改めて、原爆がスポットライトを浴びているのでしょうか?それは、新たな資料や解釈によって、これまでの常識がくつがえされているからです。
   
 日本でもそうですが、アメリカで原爆の話をすると必ず聞かされるのが次の解釈です。
   
 「原爆が落とされていなければ、日本はアメリカに降伏せず、11月1日に予定されていた九州侵攻が実施されていただろう。そうすると、50万人のアメリカ人兵士が命を失い、それ以上の数の日本人が犠牲になっていたはずだ。ヒロシマナガサキの被害者には気の毒だが、より多くの命を救うためにはやむをえない選択だった」
    
 去年、スタンフォードの前歴史学部長であるデヴィット・ケネディー氏が、原爆の倫理的な問題について、授業の中で講義してくれました。何か新しい論点があるかと期待したのですが、その結論は結局、「やっぱり原爆投下はしょうがなかった」という従来の学説で、大半のアメリカ人学生もその話に納得していました。
   
とまあ、ここまでは良くある話なのです。
   
 ただ、ケネディー氏が「日本人の命も原爆により救われた」という証拠として、元特攻隊員が英語で書いたアメリカ人宛ての手紙をもってきて、「彼は手紙の中で、原爆があったから、彼は戦争に行かなくてよかったと喜んでいる。つまり、日本人は間接的にアメリカ人にお礼を言っているんだよ」と主張したときには、さすがに強く抗議しました。
   
 たった一人の日本人、しかも特攻隊員という特殊な立場にあった人間の手紙で、当時の日本人の感情を代表させようとするのですから、歴史家の仕事としてはあまりに粗雑です。ピューリツアー賞も受賞したほどの超一流の歴史家でさえ、原爆についてはこの程度の認識ですから、いわんや一般のアメリカ人をやです。
   
 しかし、私がここで強調したいことは、アメリカ人の歴史認識ではなく、実は冒頭に挙げた従来の定説自体が揺らいでいるという点です。主に2つの研究が、従来のヒロシマナガサキの解釈に一石を投じています。
   
原爆がなければ、日本は降伏しなかったのか?
   
 ひとつ目は、スタンフォード大学歴史学部教授のバートン・バーンスタイン氏による研究です。原爆の歴史やアメリカ近代史の権威である氏は、冷戦後新たに公開された資料を元に、次のような主張を展開しました。(出典:『Foreign Affairs』, "The Atomic Bombings Reconsidered, January/February 1995)
   
1)天皇制を保持するという日本側の降伏の条件を飲めば、原爆を落とさなくても、11月1日の九州侵攻の前に、日本は降伏した確率が極めて高い。
  
2)当時、陸軍長官の任にあったヘンリー・スティムソン氏の日記によると、アメリカ軍が京都を原爆のターゲットから外したのは、京都の文化遺産を守りたかったからではなく、京都を破壊したら、それを後々まで日本人が恨み、戦後、日本がアメリカよりソ連になびいてしまうかもしれないからだった。
   
3)アメリカ軍が日本に侵攻していたとしても、その被害は従来言われる50万人という規模ではなく、5万人以下であっただろう。
  
4)ヒロシマへの原爆については議論があるものの、ナガサキへの原爆はほぼ確実に必要なかった。つまり、ナガサキへの原爆なしでも日本は降伏していた。
  
 2つ目は、カリフォルニア大学サンタバーバーラ校歴史学部教授の長谷川毅氏の研究です。2005年に全米で発売された『RACING THE ENEMY』は、日本でも『暗闘――スターリントルーマンと日本降伏』(中央公論新社)というタイトルで出版され、読売・吉野作造賞司馬遼太郎賞を受賞しましたので、すでに読まれた方も多いかと思います。
   
 長谷川氏は、これまで、日本とアメリカの関係だけから語られてきた原爆論議に、ソ連も加えることにより、以下のような新しい解釈を説得的に示しました(日本語、英語、ロシア語すべてに堪能である長谷川氏であるからこそ、可能であった研究です)。
   
「日本の政策決定者たちを、降伏へと追いやった最大の要因は、原爆ではなく、8月8日のソ連による日本侵攻である。中立条約を結んでいたソ連のこの裏切りにより、ソ連を仲介役として、和平を探ろうとしていた日本の政策決定者の望みが絶たれ、降伏を決断することになった。原爆も、政策決定者に終戦を急がせた要因ではあるが、ソ連の侵攻の方が決定的な要因である」
   
 長谷川氏の議論には、反論も寄せられていますが、それは、「ソ連の侵攻と原爆とどちらが決定的な要因か」という類のものであり、「ソ連の侵攻は降伏に影響がない」という議論ではありません。(参考:『The End of the Pacific War』,Tsuyoshi Hasegawa)
   
 ちょうど先週も、独立の研究者であるワード・ウィルソン氏と、上述のバーンスタイン氏が原爆について語るイベントが大学内で催されました。ウィルソン氏の主張は「原爆は日本の降伏に全く影響がなかった」というものでしたが、バーンスタイン氏からも他の研究者からも、「それは言いすぎだ」という意見が寄せられていました。
   
 どちらに重点を置くかの違いはあるにせよ、「ソ連の侵攻と原爆の両方が、日本の降伏を導いたと」いうのが、いまのところ、歴史家の間では共通見解です。この問いに対する最終的な結論を出すには、降伏を決断した昭和天皇の心情を記した新資料が必要になるでしょう。
   
日本人は、歴史を語る作法を学ぶべき
   
 今回の、原爆に関する議論を通じて、痛感したのは、アメリカの懐の深さです。
   
 アメリカ人の中には、浅い知識や、英語だけの情報に頼って、自信満々に他の国の歴史について語ったり、非難したりする人がいます。従軍慰安婦問題に対する、一部のアメリカ人の態度には、本当に怒りを感じることがありました(あの悪名高いマイケル・ホンダ下院議員はシリコンバレー地区の選出です)。
   
 とくに、アメリカのインテリの多くは、「ニューヨークタイムズ」に書いてあることは、すべて事実と思ってしまう傾向があり、これまた悪名高いノリミツ・オオニシ記者の日本関連の記事を鵜呑みにされるのは、不快極まりありません。
 
       
 しかし一方で、真摯に歴史的な真実を見つめようとするアメリカ人もたくさんいます。加えて、歴史の議論がタブーなく、多様な視点から行われるのには、本当に感心します
   
 原爆の論議を見ても、従来型の見解に固執する人もいれば、新たにソ連侵攻説を唱える人もいれば、バランスよく両者を融和させようとする人もいる。そして、専門家のセミナーに参加して思うのは、歴史解釈を巡る議論が、極めて実証的・理性的に行われることです。感情的になることなく、議論を通じて、純粋に真実を追い求めようとする。
    
 翻って、日本の場合、久間章生防衛大臣の「しょうがない」発言の際も、言葉の表面をなぞるだけで、内容を冷静に深堀しようとしません。原爆の問題がタブーのようになってしまっています。
   
 今、話題の前航空幕僚長についても、その行動の是非はともかく、悲しくなるのは、論文のクオリティーがあまりに低いことです。信頼性の低い文献から、自分のイデオロギーに合う、都合の良い記述だけを盛り込んだ、低レベルの作文です。自衛官の高官が、こんな杜撰な歴史の議論をしていては、中国や韓国に「歴史を歪曲するな」と非難することができなくなってしまいます。
   
 タブーなく、感情的にならず、信頼性の高いファクトを積み上げて、歴史を議論していく。そういう姿勢を、日本は西欧社会から学んでいく必要があるのではないかと思います。
  
佐々木 紀彦(ささき・のりひこ)
 1979年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業後、東洋経済新報社で自動車、IT業界などを担当。2007年9月より休職し、現在、スタンフォード大学大学院修士課程で国際政治経済の勉強に日夜奮闘中。