ブログ論者かく語りき これが<格差>の現実だ  (佐々木俊尚・essa・天漢日乗)


    

天漢  いまの若い人たちの議論に決定的な影響をあたえたのは、漫画家の小林よしのり氏だと、私は思います。彼は非常に有能なアジテーターで、明快な議論を漫画でわかりやすく展開した。多くの若者がかれの右派的主張に共鳴しました。しかしその影響が、安倍前首相在任中あたりから少しずつ薄れはじめたのではないでしょうか?
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非モテ」の存在論的不安
 
佐々木 六月八日に起きた秋葉原無差別殺傷事件は、”非正規雇用者の復讐”という文脈で語られることが多い。しかし、加藤智大容疑者が提起した問題は、ぜんぜん別の次元にあると思う。アキバ事件の核心は、じつは「非モテ」問題なのではないか、というのが僕の仮説なんです。
essa  モテない、ということですか。
佐々木 ええ。つまり、だれかから自分という存在を承認してもらいたい。しかし、その思いが満たされない。伝統的ムラ社会、共同体が機能していた時代は、農村、企業、家族のなかにどっぷりはまり込むことによって周囲から全人格的承認が得られました。それはもちろん窮屈ではあったけれど、一種の安心感を与えてもくれた。いまの世のなかは人間関係が希薄化していて、そういう安らぎがどこにも見あたらないわけです。
 たしかに人とのつながりはネットを通じていくらでもできます。でも、共通の関心という一時的位相でつながるだけで、全人格を受け入れてもらえるわけではない。結局、自分を無条件で承認してくれるのは、”彼女”だけなんじゃないか、ということになる。
(略)
佐々木 ネット論壇では、メディア批判や格差、貧困問題に関しては、かなり質が高く、バランスのいい議論がされているのに、「非モテ」議論は、ひたすら混迷の度を深めているようです(笑)。
 ただ、こうした心のなかの、ごくプライベートな事象を、みんなが語りあい、ある種の癒しをえられる場としてネットが機能しているなら、それは信仰なき時代の教会、あるいは駆け込み寺のようなものかと、考えることもあるんです。
(略)
佐々木 C・G・ユングのいう「集合的無意識」のようなものが、そこに顕現しているのかもしれません。
 マス・メディアを補完する存在として、ネットが担う役割は、これからさらに大きくなっていく。そのことだけは間違いないと思います。
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