日中開戦記念日


   

今日はは日中戦争勃発の日なのだ。
   
8月8日のオリンピック開会式の日に、グルジア南オセチア自治州駐留のロシア軍が攻撃されロシア・グルジア戦争が始まった。英米メディアはグルジア内に駐留するロシア軍が侵略者のように報道している。しかし、待って欲しい。ロシアは国際条約に基づいて合法的に駐留していたのであり、そこに突然攻撃を仕掛けたのはグルジアである。グルジア国内にロシア軍がいるのが許せないから攻撃は当然だ、とは言えない。だいたい戦争というのは簡単に始められるものではない。長い準備期間が必要なのだ。あきらかにグルジアの「計画的犯行」である。(ということはアメリカも知っていたはずである)現在、怒ったロシアは返り討ちにしてやるとばかりグルジアの首都トビリシを攻略している。
         
これをみて漏れは既視感に襲われた。
           
1937年8月13日、上海駐留の日本軍に中国軍が突如攻撃を開始、怒った日本は返り討ちにしてやるとばかりに中華民国の首都南京を攻略した。これが支那事変の発端であった。
            
世の中的には7月7日の盧溝橋事件を日中戦争勃発の日としているが、それがそもそもの間違いだ。盧溝橋事件は19日に停戦が成立している。途中チャハル作戦などあったが、偶発的なものだし万里の長城以北の話である。中国本土での本格戦闘は第二次上海事変から始まったのだ。盧溝橋事件でも第二次上海事変でも日本軍に侵略の準備などまったくできておらず、圧倒的に劣勢の状況で攻撃され、慌てて増援したのが実態であった。つまり日本軍の計画的侵略などではないのだ。
           
結局のところ、事件を奇禍として全面戦争に突入した日本軍が馬鹿だったし、あとからみれば「侵略意図」があったのだろうといわれてしまうのだが、少なくとも日中戦争が中国側から開始されたことは絶対に覚えておくべきだろう。
なぜなら将来も「中国側からの軍事的挑発」はありうるだろうし、そんなとき頭に血が上って「やっちまえ〜」となったら相手の思う壺だからだ。

      
日米開戦は1941年12月8日。
では日中開戦は?
正式には1941年12月9日が正解。それまでは戦争ではなく事変。
   
以前も書いたが、日中戦争が始まったのはまだ「中独合作」時代である。中国国民党ファシスト政党だからナチスと仲良しなのだ。1933年1月ナチスが政権をとってから1936年日独防共協定で路線転換するまでは独中蜜月時代、三国軍事同盟で縁切りするのは1940年9月である。だから1937年段階ではまだ両路線併存である。だから「ラーベ」のようなナチで中国のために働く人がいるのである。
   
その象徴的な写真はこれ。

ドイツ留学の蒋経国の写真。ナチというより国防軍の制服ですが、意外な気がしないか?