- 作者: 副島隆彦
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2008/07/25
- メディア: ハードカバー
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副島隆彦さんは微妙に立場を修正している。
以前はもっとサヨク的だったが、最近の歴史本の成果を取り入れているみたいだ。
漏れは氏の唱える「日中不戦」を全面的に支持する。
だが、問題は、日本が開戦しなくても、中国が開戦してくる場合だ。
そういう場合でも「日中不戦」を堅持するにはどうするべきなのか、を考えることが大事だ。
その意味で看過できない認識がひとつある。
それは日中戦争を盧溝橋事件から始まったという認識だ。
日中戦争は1937年8月13日、蒋介石の上海租界攻撃から始まった。
これはヲタク的拘りではない。
この日本が仕掛けなくても中国が仕掛けてくるという認識を広く普及させる必要がある。
日中戦争はアメリカの傀儡である蒋介石が上海の日本租界を侵略することで始めたのだ。
もし今後日中間に戦争が起こるとしたら同じように尖閣諸島や沖縄の離島などへの侵略として始まるだろう。
漏れは「汚い中国人が侵略してくるかもしれないから日本は軍備強化せよ」と言いたいのではない。
戦後民主主義的よい子ちゃん主義では、中国から侵略されるといった事態を想定しないから、
逆にそうなると輿論が一挙に開戦に傾いてしまう危険がある。
この点をとことん拘るべきである。
あと神道=道教という主張には相変わらず違和感がある。
神道という言葉が出てくるたびにカッコ書きしてまで繰り返しているが、ちょっと勇み足だと思う。
皇室制度やアニミズムには道教と根を一にはしているが、同じモノではない。
さらに、天皇の原理(天皇は天皇であるから日本の主宰者である)が右翼の弱点という指摘は賛成する。
信者(日本人and/or皇室支持者)以外には通じない理屈だからだ。
だが、だからといって、易姓革命説が正しいとは思わない。
なぜなら少なくとも日本において皇室制度は機能しているからだ。
天皇は権力ではないし天皇がいるからこそ民衆は権力をコントロールできる。