富める国へ積極行動の時 byポール・サミュエルソン 米MIT名誉教授

    

意外でなかった日本の高度成長
 1945年、ヒトラー率いるドイツと日本が第二次世界大戦に敗れ、世界は大きく変わった。
 米国のマーシャルプランの助けを借りてフランス、ドイツ、英国は驚異的な復興を遂げ、マーシャルプラン自体がその後の欧州連合の発足に重要な役割を果たした。太平洋地域ではマッカーサー元元帥の日本占領で奇跡的な成長が始動した。第一次世界大戦後にはこうしたことは起こらなかった。
 日本の高度成長は奇跡ではあったが、私にとっては必ずしも意外ではない。かつて、米国南部の低賃金の労働者が、北部の高賃金労働者がすでに使っていたノウハウを身につけ、北部の二倍の成長率を達成したのを、私は見てきた。
 これはほどなく、製靴、繊維、製紙産業が北部から南部に恒久的に移転することを意味した。自動車産業でさえ北部のデトロイトから南部のアトランタに移転した。四○年代の若かりしころ、私は、理論的な分析をもとに、同じような地理的要因が将来も働くと予測する研究論文を発表した。
 日本の成功の後、まもなく、韓国、台湾、シンガポール、香港も高い成長を記録した。その間、毛沢東が支配する中国とネルーが率いるインドは左翼のイデオロギーという「麻薬」で眠り続けた。
 ではなぜ、そうした日本が二十世紀末に問題を抱えるようになったのか。多くの理由がある。
小国の戦略に学ぶ点は多く
 第一に、日本の株価と不動産の投機バブルが九○年代初頭に同時に崩壊した。第一次世界大戦後にバブルが弾けた二○年代と同じように、日本の特異な企業制度によって問題への対処が遅れ、損失を最小限にとどめることができなかった。
 第二に、「全員一致を前提にした意志決定」という日本独特の企業慣行に本質的欠陥があることが明白になった。
 第三に、日本の終身雇用制の有効性が試され、雇用面で非効率な硬直性を助長する欠陥が明らかになった。
 第四に、日本には優秀な経営学系の大学院(ビジネススクール)や経験豊かなケインズ義経済学者が存在せず、国会や肥大化した官僚制も、ポール・クルーグマン氏(米プリンストン大教授)のような助言を聞き入れなかった。その結果、F・ルーズベルトの米国やヒトラーのドイツが大恐慌を終わらせるためにしたこと(公共投資拡大策)を迅速かつ精力的に実行しなかった。
 なぜミルトン・フリードマン氏(元米シカゴ大教授)が提唱した日銀による利下げは成功しなかったのか。米国でも日本でも、金利がゼロ近くまで下がると、「フリードマンの万能薬」はもはや効かない。彼は「M」、すなわちマネーサプライ(通貨供給量)については知っていたが、マネーの低下するスピード、すなわち「V(貨幣の流通速度)」については理解できなかったのである。
 時代は変わった。新しい時代には新しい政策が必要になる。米国と西欧にキャッチアップしようと日本がかつてしてきたのと同じことを、今中国とインドが日本に対してしようとしている。こうした状況は長く続こう。
 少なくとも日本人は国内貯蓄の低金利を容認するのをやめるべきだ。欧米のように国際(分散)ポートフォリオを持つのが賢明だ。日本人の個人貯蓄者に良くないことは、日本政府にとっても良くない。日本政府は黒字の大半を低利回りの米国債で運用している。確かにこれは円相場の上昇を抑え、円安で日本の輸出企業の競争力を維持できる。しかし、日本はもっと以前に外貨準備の運用をドル建て資産から他の通貨に切り替えておくべきだった。なぜドルは今後も長期間、下落し続けることに、いつまでも気がつかないのだろうか。
 決して「日本人であることをやめ、米国人のようになれ」といっているわけではない。米国は何ら特別なことをしていない。ブッシュ大統領が2001年に就任して以来、米国は良き経済政策を模索する国の悪しき手本になっている。
 日本はむしろスイスやフィンランドアイルランドなど成功を収めている小国の戦略から学ぶべきだ。市場原理を導入しながら、公的規制のもとで競争するという「中間の道」がある。これらの国は日本と同じように出生率が低下し、人口と労働人口の減少に直面している。同時に医学の発達によって寿命が延び、生活の質の改善することが約束されている。
 日本の労働者が現在より長期にわたり働き続けるべきであるのは明白だろう。定年後の生活水準を維持するため、七十歳代になっても働き続けなければならなくなる人が出るかもしれない。
 多くの国で、女性は男性に匹敵する仕事をしており、女性の所得は男性に近づいた。日本はサラリーマンが会社に忠誠を誓い、家族を置き去りにして同僚と飲み歩く奇妙な国だ。今後の難しい時代に世帯当たりの平均所得と貯蓄を引き上げる方法の一つは、グローバルな潮流に沿って夫婦双方が働くことではないか。
公共事業推進野放図避けよ
 今後の日本は、以前からある古い問題だけでなく、新しい問題に直面するのは間違いない。しかし、克服できないとは思わない。実際、日本以外の国の将来は日本よりもっと暗いようだ。
 米国人は貯蓄をせず、消費過剰になっている。ドル相場の見通しが暗いのもある意味当然である。フランスは、伝統的理由から、週労働時間はわずか35時間で、年間5週間の休暇をとる。週38時間から40時間働く他の先進国と同じ生産性をあげることができると考えるのは幻想だろう。
 また、欧州も北米も、移民と国民の間に緊張や摩擦がある。フランスや英国、そして米国でさえも、イスラム教徒は歴史的な「人種のるつぼ」に溶け込まない。米国ではヒスパニック系の移民が初めて母国語を使い続けるようになった。米国ではヒスパニック系の出生率の方が高く、30年後には、英語を話す人とスペイン語を話す人の溝はさらに深まるだろう。
 伝統のせいか、文化のおかげか、日本はそうした方向とかなり異なった道を歩んできた。入国を認められたアジア系外国人は相対的に少なく、トルコや旧ソ連からの移民が高賃金の仕事に移行しつつあるドイツのような問題に直面していない。

 購買力平価ベースで計算すれば、中国はすでに実質国内総生産(GDP)で日本を上回り、米国に次ぐ世界第二位だ。排他的な愛国主義者の虚栄心が傷つく以外に、これに重要な意味があるのか。私の答えはノー。GDPの規模でスイスを上回っている国はおそらく20ヶ国ほどあるだろう。しかし、スイスほど国民一人当たりの生活が豊かな国は少ない。
 エネルギーや原材料価格が上昇し、インフレ加速防止は各国の喫緊の課題である。インフレ懸念は中央銀行の金融政策を引き締める効果がある。
 日本はその反対の心配があるといえよう。長期のデフレが終結したかどうかまだはっきりしない。逆にいえば一般の日本国民はインフレ率を1−3%に引き上げる政策で利益を受ける。こうしたインフレ率を達成すれば、日銀は他国並みの水準に金利を戻すという悲願を達成できる。総裁の演説だけでは金利は上昇しない。
 ただし、民間企業のロビイスト献金のおかげで当選できた国会議員が分別のない公共事業を推進するようなことがあれば危険にさらされる。
 欧米の08年のGDP成長率は小幅にとどまろう。米国の不動産バブル崩壊による金融市場の混乱で、景気後退の可能性が強い。日本もこの問題を警戒する必要があり、国内消費にまだ弱い部分があるだけに、財政赤字脱却を目指した真剣な消費税引き上げの議論を始めるのは時期尚早だ。
 賢明で積極的な行動を起こすことが、私の日本への最大の提言だ。日本が90−2002年のような景気停滞に逆戻りするなら誠に残念である。