旧モーガン邸

 
正月は環境関連のテレビ番組ばかりみていたが、やっぱり決め手は「民度」なんだよなあと慨嘆。
日本のお花畑はなにかというと国の責任を問う!とか騒ぐが、ある程度はただしいものの、親の責任を問う中学生という感が否めない。
自分の要求を国家に認めさせることばかり熱心で自治という感覚がないのだよなあ。
じゃあその立派な市民様というのは全共闘的な幼稚なサヨク崩れだったりする。
そういうサヨク小児症じゃ世の中は良くならないどころか余計に拗れて悪くなる。
元祖不良債権としての団塊DQN。それが日本の不幸だな。
 
で、これは酷なのかもしれないけれど、日本の市民のレベルを推し量る事件があった。
 

旧モーガン邸から出火 神奈川・藤沢 不審火の可能性も
2008年01月02日10時34分
 
 2日午前5時40分ごろ、藤沢市大鋸(だいぎり)の洋館、旧モーガン邸から出火、増築部分や別棟など2棟、約230平方メートルが全焼した。火の気がないことから、藤沢署は不審火の可能性もあるとみて調べている。
 
 邸宅は07年5月に不審火で母屋部分が全焼したばかり。地元住民や建築家らでつくる「旧モーガン邸を守る会」のメンバーたちが、修復・再生へ向けての活動を続けていた。
 
 旧モーガン邸は、旧丸ビルや横浜・山手111番館の建築で知られる米国人建築家J・H・モーガンが1931(昭和6)年に自宅として建てた。
 
URL:http://www.asahi.com/national/update/0102/TKY200801020017.html

昭和初期の洋館「旧モーガン邸」が焼失 神奈川県藤沢市
2007年05月12日10時40分
 
 12日午前4時45分ごろ、神奈川県藤沢市大鋸(だいぎり)の洋館「旧モーガン邸」付近から出火、木造2階建ての同建物約280平方メートルが全焼した。建物内に火の気はなく、藤沢署などは出火原因を調べている。
 
 全焼したのは、米国人建築家のJ・H・モーガン氏(1873〜1937)が1931年に自宅として建てた洋館。藤沢市と財団法人・日本ナショナルトラスト(JNT)が05年に総額2億2000万円で買い取り保存していた。藤沢、横浜、鎌倉各市の境付近の丘の上で、約6600平方メートルの敷地の中に立つ邸宅は建築時の姿がほぼ残り、磁器の瓦など日本建築の要素が採り入れられている。今月19、20の両日、特別一般公開される予定だった。
 
 モーガン氏は1920年、46歳で来日。横浜を中心に活躍し、東京の旧丸ビルや横浜山手聖公会横浜市中区)など全国で30以上の建物を手がけたことで知られている。横浜山手聖公会は05年1月、放火により全焼している。
 
 モーガン氏の死後、所有者が次々と変わり、元ホテル・ニュージャパン社長の故横井英樹氏の別荘から、整理回収機構が管理する債権処理対象になった。解体の動きを受けた地元市民らが「旧モーガン邸を守る会」を発足させた。熱心な保存運動が購入に結びついたという。現在もJNTと守る会が草刈りや警備、見学会などを続けている。藤沢市消防本部には市民から「モーガン邸が燃えている」と、10本以上の通報があった。
 
 守る会世話人の一人、桑山直子さんは「連絡を受け現場に駆けつけた。ぼうぜんと見るだけだった。多くの人たちに支えられてきたので本当に残念。フェンスを乗り越えれば入ることが可能なので、こういう事態を心配していた」と話していた。
URL:http://www.asahi.com/national/update/0512/TKY200705120046.html

NPO設立総会
 
17日(月)に特定非営利活動法人を立ち上げるために設立総会をひらき、定款や初年度事業計画、予算などについて決めました。忙しいメンバーが顔を揃えるのはなかなか難しく、正会員12名中6名の参加で成立しました。
 
URL:http://old-morgan-house.cocolog-nifty.com/

 
まず間違いなく放火である。
愉快犯なのか、利権絡みなのか。
でも、正直言って「放火される可能性」は容易に想像できていた。
これによって利権を邪魔される勢力は保存運動を潰そうと火を付けた。
本館が燃えて終了と思ったら修復計画が動き出してNPOまで出来てしまった。
そこで修復運動の核になる残っていた付属建築物と焼け出された家具類もまとめて放火した。
 
非常によくわかる。
 
問題はこんな簡単に思いつくストーリーを市民が防衛できないということ。
 
この保存運動の人達は立派だと思う。
カネにならない面倒ばっかりかかる保存運動に手弁当で集まって。
でもわずか12人のミーティングに6人しか集まらない。
所詮日本の市民の文化財に対する意識、というか公共利益に対する意識なんて6人集まるのがやっとというレベルなのだ。