私のマルクス

  

私のマルクス

私のマルクス

 
『私のマルクス』は父母の生い立ちから同志社での青春時代までを語っているが、非常に共感できた。
あの濃い顔は沖縄なんだな。あとある意味反時代的なまでに豊かな青春時代を送ったようで、羨ましい。

佐藤さんはキリスト理解ではカルバン主義(=神様知らんぷり)とウェーズリ主義(神様と応答可能)を比較して、人為が神意に及ぶという傲慢に疑問を持ちカルバン主義を取る。
それは人為を超越した資本主義の運動法則を描く宇野弘造の線でマルクスを理解したのとパラレルだ。
だが一方で、マルクス理解では疎外論と物象化論のどちらを重視するかで広松渉=物象化論をとれなかったと告白している。
ここがちょっとわかりにくい。
なお、広松を持ち出しながらマルクス理解に仏教型とキリスト教型があるというくだりは全く同感。広松はナガールージュナーだかんなぁ。
簡単に言えば、資本主義という自然現象を描写する科学的分析
また彼はそういいつつも「複数の真理がある」という立場を取るに至る過程がよくわからない。
いや、僕自身はよくわかるし、その立場なんだが、なぜ彼が神学という唯一絶対性を争う学問をしながらそこに至ったのか。
なお、僕は事実と解釈の関係から、この世の全ての事実を集めても世界観は一意に定まらないという理解なんだけどね。