- 作者: 相見英咲
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2002/10
- メディア: 単行本
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さて一般にはあまり知られていない相見さんの説が僕の古代史理解の基礎である。
豊田有恒さんの結論「ヤマト=九州」説で思い出したので再録メモする。
相見さんの議論の特徴は、現存資料が書かれた時点の事情を想像し、現在は失われた原資料にはどう書かれていたのかを推理するところにある。
第一章 「倭人伝」をどう読むか
・倭国の旅行案内書
・倭人伝は二部構成
第二章 倭国の地理・行程
・公孫氏3代が滅び、魏は帯方郡を回復。同時に貿易相手が倭国代表ヤマト国に整備一本化された。
・帯方郡使の目的地は伊都国。
・伊都国=倭国の対外窓口(後の太宰府のようなもの)。関心があったのは倭国全体でありヤマト国ではない。
・女王国には3つの意味がある。ヤマト国、ヤマト国を中心とする国家連合、ライバル狗奴国まで含めた倭国全体。
第三章 「倭人伝」の原資料の姿をさぐる
・倭人伝は末廬国までを工程順に以降を末廬国起点に記載されている。→記事の出だしに着目!
・末廬国記事が挿入されたのは偶然。本来行程は一大国→伊都国。
・本当は伊都国起点で記載したかったのに「又」の字を書き漏らしてしまった!・帯方郡→狗邪韓国→対海国→一大国→末廬国(連続工程式)…記事の出だしが「始」や「又」
・末廬国起点→伊都国・奴国・不弥国・投馬国・ヤマト国(放射式)…記事の出だしは「方角」
・斯馬国以下21国…記事の出だしが「次」
・狗奴国…記事の出だしが「其南」・方角は原記事レポーターの誤解により実際より45度傾いて理解されている!
・魏人は倭国島=九州=南北に異常に長い島と思いこんでいる。
・倭人はヤマト国の方角位置を故意に誤解させ厄介払いしている!本当は畿内にあった!
・魏の黄幢らしきものが黒塚古墳から出土。
・纒向遺跡:2世紀頃突然出現。濃尾平野にあったのが狗奴国か?
第四章 「倭人伝」の倭国社会諸情報
第五章 卑弥呼の君臨と対狗奴国戦争
<非統一時代>
・紀元前3世紀頃から国家が発生?
・57年、奴国の首長が漢に朝貢。(漢委奴国王)まだオールニッポン代表ではない。
<倭国連合政権時代と内乱>
・107年、倭国の誕生。師升が倭国王として朝貢。要するに持ち回り?
・180年代、内乱。ex)184黄巾の乱
<前ヤマト朝廷の成立>
・190年頃、ヤマト国の首長ヒミコが倭国王に即位。
→政治宗教センター建設(纒向)。
→葬祭制度整備(古墳)。
→官僚制を整備。
九州の各首長を官僚とする(ヒナモリ)。
一大卒(九州長官)、太夫(外交特使)、大倭(市場監督長官)、都市(市場監督)
・240年頃、内乱勃発。首謀者はライバル狗奴国長官ヒミクコ・副官クコチヒコ。
(このころ帯方郡からきた倭国レポーターが伊都国滞在(247〜250?)。魏志倭人伝の原資料)
・ヒミコ勝利。
・248年頃、ヒミコ死去。トヨ即位。
(敗戦国狗奴国(東海地方)では当面の間前方後円墳の築造が禁止される?)
(前方後円墳は壺形をした蓬莱山の模倣?)
・266年、トヨ晋に朝貢。
<ヤマト朝廷の成立>
・300年頃、崇神天皇即位。