大日本帝国の敗戦とその末裔達

    

で、ちょっと話は飛ぶんだが、第二次大戦中のタイの話。タイは、日本軍に協力していたんだが、裏には自由タイ運動という組織があり、日本の敗戦が決まると、逃げて行く日本軍にピストル一発撃って戦勝国になってしまった。で、戦争中の国王は「銃の手入れ中の暴発事故という多少不可解な死に方」をして若くして死に、スイスに留学していた今の国王が帰国する。ちなみに、ベトナム戦争アメリカが負けた時には、クーデター起こして米軍基地をみんな追い出してるね。ヤツらは賢い。ウチの犬くらい賢い。だから、国家というのは常に逆張りを仕掛けておくものだし、現実の前には思想なんて関係ない。
    
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ところで、金日成抗日パルチザンの英雄というのは捏造された姿だというのは有名なんだが、誰がそんな神話を捏造したのかは、あまり知られていない。実は、それは金策という人物で、金日成の片腕と呼ばれた男だ。ところが、コイツには謎が多い。

渤海国の2代目国王は勇猛果敢、好戦的な野心家・大武芸だった。そして北朝鮮2代目最高指導者・金正日は大武芸に憧れ、性格も似ているところが多々見られる。――金正日北朝鮮当局が、渤海国の歴史全般を深く研究していることは知られているが、彼らは大武芸を「理想の指導者像」と見なしているのではないだろうか。
        
超大国・米国、隣国である巨大国家・中国。これらを相手に回し、無謀とも思える強硬姿勢を貫き通し、欧米思想を撥ね返してアジア文化を死守する北朝鮮。現在の北朝鮮体制の基礎を作った金日成の片腕・金策が旧日本軍の明石機関に通じていたとの噂は、研究が進につれ真実味を増してきている。それは即ち、北朝鮮がなお、中国、米国を相手に大東亜戦争を貫徹していると考えることも可能なのだ。
                     
世界中の研究者たちが不思議に思っている、金正日の日本文化好み。なぜあれほど日本文化に憧れるのか――。その謎解きは北朝鮮成立の基礎固めをした金策という人物と、金策の背後関係にあるのではないだろうか。
   
この脈絡で読み取るならば、米国の属国に成り下がった小泉政権金正日が頭を下げることなど絶対にあり得ないという結論になる。        
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で、金策が明石機関の一員だったというのは定説になりつつあるんだが、いやいや、それだけじゃない、金策は実は、日本人なのだ、という話まである。金日成の神格化のスタイルは、日本の天皇制を真似したものだと言うのだ。北朝鮮の体制が、ソ連とも中共とも違う東アジア的君主制に近いのは、それゆえだ、と。口先がどうであれ、北朝鮮が日本を手本とし、日本に憧れているのは間違いない。金正男という男なんだが、アレはジョンナムじゃない、マサオと読むんだよw 息子に日本人みたいな名前をつけるくらいだから、金正日だって日本大好きだ。でもね、アメリカに尻尾を振ってる哀れな日本が好きなわけじゃない、東アジアに君臨する大国としての大日本帝国が好きなのだ。
          
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>金策には謎の部分がある。
彼は抗日パルチザンの動向を知るために日本軍が放った間諜(スパイ)だったという説が強く存在しているのだ。いやそれどころか金策は日本人だったという説もある。金策の息子は国泰というが、この名は朝鮮では珍しい部類。「国家泰平」から2文字を採ったとなると、非常に日本人的だ。
         
>彼が金日成に入れ知恵し、北朝鮮の民に本貫図を廃棄させて戦前の日本の天皇制のような構図を授けたとしたら……。辻褄は合う。金策が日本人だったかどうかは不明だが、彼が明石元二郎に連なる間諜だったという説は真実だと考えてよい。
       
>明石元二郎(あかしもとじろう)は大正7年(1918年)に台湾総督に任命され、台湾の事業推進や司法改正に尽力し、台湾人に対する差別教育を廃止させた名総督とされ、現地の人々から敬愛される人物だった。
     
>ロシア、ヨーロッパに拡散していた革命分子を大同団結させ武装蜂起の工作を行ったのだが、その資金は百万円??現在の金額に換算すると凡そ百億円ほどである。レーニンが後に、「明石元二郎に感謝状を贈りたい」と言ったことが理解できるというものだ。ソ連共産党国家の産みの親は明石元二郎だったと言える。
     
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渤海と日本(大和政権)との関係はその後200年にも及び(延長7年 930年1月まで)、37回もの使節が来朝している。この関係は明らかに軍事同盟だったが、大国・日本に属国・渤海朝貢してきたことに対し、大和政権側も大喜びだったようだ。(大王天朝受命=日本の天帝から支配権を授与された渤海という意味。)
               
だがこの国書で最も注目すべきは、その直後にある「本枝百世」。これは日本と渤海はかつて1つの国だったという表現。つまり「扶餘」という原初的国家が存在し、それが「高句麗+南扶餘」に分裂、高句麗渤海となり、南扶餘が百済と日本になったという表現なのだ。この表現の解釈法によっては、大和政権は朝鮮半島出自と読み取ることも可能。韓国系の学者などが大喜びして引用することもあるが、少なくとも韓国の祖先にあたる新羅とは無関係だ。ちなみに日本人と渤海人は、中央アジア起源の天孫族の末裔という意味では間違いなく兄弟民族である。    
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