知的障害女性と「売春」/山本譲司(『新潮45』2006年7月号)

 
売春は何故いけないのだろうか?以前からずっと整理できないでいる。
身近な女性が売春をしていたら、僕は嬉しくない。やめてほしい。
しかし本人が敢えて売春を選択しているときにそれを否定する根拠は何だろう?
「売春はセクシュアリティの搾取である。だから否定する。」
となると、個人売春は否定できない。
「自由意志のように見えても暴力的な社会構造が経済的社会的に広義に強要するのが売春だ。だから否定する。」
となると、そもそも殆どの職業は強要されてものと解釈できてしまう。
自由意志で、ほかの生活手段があるのに、敢えて売春を選択する女性は被害者なのか?
あるいは(詐欺の手口でよく語られる)「女性相手にセックスを提供する男性アルバイト」は被害者だろうか?(俺だってやりたい?!)
「売春以外の手段ではたくさんカネを稼げない社会構造が悪い。だから売春せざるを得ないのだ。」
ところが最近は売春は必ずしも高給を保障しないのだ。あるいは別に若年期には賃金の男女差はそれほどない。それでも選択する女性がいる。
甚だしきはセックスが好きでセックスが生き甲斐となっている売春婦だ。
彼女はどういう意味で犠牲者なのだろうか?
「いや、売春婦は本当は売春はいやなのだ。本人にわからなくても私には分かる。」
とでもいうのか?宗教家でもあるまいし。
そういう安手のヒューマニズムの押しつけ=閉じこめが通じないケースがあるのだ。
ここにおいて「弱者保護」の売春規制論は破綻する。
最後は「娘や妻が平気で売春するようじゃ社会正義が保てない!」という「社会防衛」からの反売春論でも言うのかな?