司法のしゃべりすぎ

司法のしゃべりすぎ (新潮新書)

司法のしゃべりすぎ (新潮新書)

 
僕はこの判事を支持する。
彼が「左翼判事のしゃべりすぎ」を批判しているからではない。
そもそも裁判官の分際で市民に説教たれることが不遜なのだ。
裁判官は法に照らして判断すれば良いのであってイデオロギーや価値の領域は専制国家じゃないのだからお上に決めて貰う必要などない。
 

日本一判決の短い判事、司法の“蛇足"を暴く!!

「判決文の半分、判例の8割」必要ない

「司法のしゃべりすぎ」で裁判制度を批判した井上判事(左)。辞職後はメディアや講演会で訴えていくという
 
任期切れに際して「判決文が短い」などの理由から、「再任不適当」とされた横浜地裁井上薫判事(51)。再任希望を自ら撤回し、4月の退官が決まった。井上判事は「立場上これまで抑えてきたが、今後は司法の現場の真相を全部暴く」と怪気炎を上げた。

 
「裁判官の独立という憲法の大原則を侵すあしき前例を作りたくなかったが、『再任拒否』の結論ありきではどうしようもない。裁判所にほとほと愛想が尽きた」

 
井上判事は再任希望を取り下げた理由を苦々しく語る。判事は結論につながる本論以外の「蛇足」を理由欄に書く権限は裁判官にないとする「蛇足理論」の提唱者。持論をまとめた著書「司法のしゃべりすぎ」(新潮新書)は大きな反響を呼んだ。

 
「現状は判決文の半分が蛇足。判例にいたっては8割が蛇足だ。蛇足を省けば裁判のスピードは倍以上になり、不足している法曹界の人員も半分で済む」

 
例えば、平成16年4月、福岡地裁小泉首相靖国参拝で「平和的生存権が侵された」と慰謝料を求める訴訟を棄却しながら、参拝自体は違憲という判断を下した。

 
蛇足理論に照らせば、「原告に被害が認められない時点で棄却は明白。わざわざ判決に必要ない参拝の是非を裁判所が判断する必要はない。しかも首相は、判決的には勝訴なので、控訴し『憲法違反者』のレッテルをはがすことができない」(井上判事)。

 
こうした蛇足の理由を井上判事は、「(裁判官が)スターになりたいんでしょう」と断じ、歴史的な背景を説明する。

 
「明治政府で中央官庁を薩長に占められ、草創期の司法には反政府的な人間が集まった。以来、政府をギャフンといわせると喝采(かっさい)を浴びる伝統がある。今も裁判官の3−4割は左翼ではないか。政府を攻撃する訴訟を担当すると千載一遇のチャンスと勇み立ち、大々的な蛇足を加える。判決より蛇足を大きく扱っているマスコミも悪い」

 
戦後補償の訴訟などが好例で、「民法上20年で時効だから勝訴の可能性がないのに、蛇足を期待して今でも訴訟が絶えない」と井上判事は言う。

 
「裁判所は不服のはけ口ではなく、権利救済の場だ。裁判官は法律のみに従うのが憲法の大原則。誰もが納得するような判決などないし、感情に配慮するなら裁判官の主観を入れるしかない」

 
裁判所が政治的発言権を失いつつある左翼の砦(とりで)になっている点も井上判事は問題視する。
 
靖国問題などはポリシー同士の衝突だから、選挙で自分のポリシーに合う人を選べばいい。自分のポリシーが反映されないからと、裁判所に頼るのは間違い」

 
井上判事はこうした“正論”を実践してきたが、平成16年に横浜地裁の浅生重機所長が「判決理由が短すぎる」と勧告。

 
井上判事は「判決理由の長さに規定はない。勧告自体、裁判官の独立を定めた憲法に反する干渉だ」と反発したが、判事の任期(10年)切れを前に昨年12月、下級裁判所裁判官指名諮問委員会で「再任は不適当」と答申された。

 
訴訟当事者からの不満などが根拠とされたが、「当事者とは、私の考えが気に入らない社会活動家だ。『蛇足理論』が図星すぎて、左翼弁護士や最高裁も困ったのだろう。『判決文が短い』など、低レベルな因縁にすぎない」(同)。

 
3月1日に最高裁判官会議で再任の可否が審議される直前、井上判事は「昨年7月には浅生所長に『第2の人生を考えなさい』と言われていた。結論ありきのムダな手続きも蛇足だ」と、再任希望を自ら撤回した。

 
井上判事は4月10日の任期満了とともに退官する。だが、「自由な立場で司法の現状を存分に書けるので、楽しみにしていてください」とてぐすねを引いている。法曹界に再び激震が走るか。 
 
ZAKZAK 2006/03/20 
URL:http://www.zakzak.co.jp/top/2006_03/t2006032015.html