神皇正統記から現代を読み解く

『正論』は保守雑誌の中でも頭の悪い印象がある。『諸君』なら買う気になっても『正論』は躊躇する。なので中吊り広告のタイトルぐらいしか読んだことがなかったのだが、そこで『神皇正統記から現代を読み解く』なる連載を書いているのが佐藤優だとは知らなかった。カソリック教神学校出身のロシア外交のエキスパートと神皇正統記の組み合わせは不思議な感じを受ける。どういう論を展開するのか興味深く読んだ。
そこでわかったことは、『人間』至上主義への抑制装置として「神」「天皇」に期待するという点でキリスト教神学と北畠親房が繋がるのだ。なるほど。
理性主義の聖域としての伝統は、ただあるがままに保存すべきだという僕の考えと重なる。

天皇制を廃止し、大統領制にするという堀江氏の言説は、日本の国体を共和制に変更すると言うことに他ならない。皇祖皇宗の伝統を断絶せよということだ。堀江氏と親しい武部勤自民党幹事長を含む党幹部がこの言説を避難したり、発言の撤回を迫ったという話も聞かない。選挙後も堀江氏は自民党と良好な関係を維持している。堀江氏の国体変更に関する言説を許容する空気が現政権にある。小泉自民党圧勝の陰で「共和制への誘惑」という種がまかれている。

しかし、ここではヒューマニズムの語義により忠実に、すなわち「人間の力でこの世界の問題を基本的に処理できる」という「人間中心主義」と暫定的に定義しておく。

上述の堀江氏の発言を素直に受け止めるならば、同氏が「『人間』の力」、より端的に言えば「競争に強い『人間』の力でこの世界の問題を基本的に処理することが可能である」という世界観を有していると判断しても不当推理には当たらない。(略)堀江氏はヒューマニストなのである。
現在、東アジアでヒューマニズムを最も強く打ち出しているのが朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)のチュチェ(主体)思想だ。

「人間」を自己絶対化する回路を原理的に絶つことができないヒューマニズムは寛容の精神を失い、全体主義に国民を導く危険性が高いのである。北畠親房はこの危険に気付いていた。時代的、地理的制約を超え、カール・バルト北畠親房は「事柄の本質」において地平を共有している。

権力者はいかに力をもとうとも権威をもつことはできず、権威はあくまでも天皇によって担保されるというシステムは日本にしかない。(略)「三種の神器」を巡る物語は、人間の合理的知性で考える筋合いの問題ではなく、国体の「事柄の本質」として伝承のままに受け入れるべき性質を帯びている。

新自由主義政策を推し進めると、国家や民族に意味はなくなる。しかし、それでは国家がなくなる。そこで観念によって、日本国家を束ねようとする。この観念としてこれから任期を得る可能性(危険性)をもつのが大統領制である。「大統領制にした方がいい。特にインターネットが普及した世の中の変化のスピードが速くなっている。リーダーが強力な権力を持っていないと対応していけない」という堀江氏の言説が一部政治エリートに受け入れられているという現実が、筆者には日本の国体が内側から崩れ始めている徴候に見える。
主観的には改革により日本の再生を意図する人々が国家を内側から崩壊させるという悲劇を防ぐために、今こそわれわれは『神皇正統記』の国体論を学び直さなければならない。

短期連載[中]神皇正統記から現代を読み解く
堀江貴文の世界観と国家崩壊の危機
起訴休職外務事務官●さとうまさる佐藤優
『正論』平成17年12月号