日本を滅ぼす経済学の錯覚

日本を滅ぼす「経済学の錯覚」 Illusion of Economics (ペーパーバックス)

日本を滅ぼす「経済学の錯覚」 Illusion of Economics (ペーパーバックス)

 
ひさびさに光文社ペーパーバックスを買った。出先で活字欠乏症になってたまたま書架にあったのを買ったのだった。読んでみたら良くまとまったいい本だった。
・・・どうも俺が良いと評価する本って基本的に「理系」のが多いような気がする。この著者も70歳の元コンピュータエンジニアだ。経済学ってどうも論理が繋がっていない気がして自分で一から考えてみた、と前書きで語っている。共感する。昔は自分の頭が悪いせいだと思っていたが、最近は学者を馬鹿にするようになった。これは進歩なんだろうか?(笑
 
この本で筆者が経済学の錯覚と指摘していることは簡単である。
 
・個人が貯蓄ばかりじゃ経済は悪化する。
・銀行が信用創造しないと経済は悪化する。
 
この2点に尽きる。
 
そしてこの2点ともの原因は日本の将来目標が見えないせいなのだ。つまり夢をもってお金を使うモメンタムが見あたらず、不安ばっかりだから個人は消費しないし、銀行はカネを貸さないのだ。それで経済のギアが逆回転していると。すると「経済学」の問題は最終的には「経済学」外要因である日本の国家目標、夢をいかに語るかという点に収斂する。なんだかなあ。結局、学者はあとから着いて来い、ってことですな。
 
個別具体的な施策はいろいろ語られているけれど、俺が気になったのは、
    
・美しい町をつくろう。
・外国人単純労働者を入れてはいけない。
      
という点だ。
     
たしか吉川元忠も同じようなことを言っていた。豊かだと言う割には日本の景観は貧し過ぎるし、庶民は生活を楽しんでいない。。。最終的にはそこに行き着くんだよなあ。吉川は「地方振興の核としてお城を復元しよう」と提案していて禿同なのだが、堂免さんは「和風の町並みの再興」を提案している。これまた禿同である。和風ってすげえ優れたソフトだと思うんですよ。外国に売れるぐらいの。もちろん現代風に便利に改変すべきところはあったとしても、いままであまりにもハードばかりを商品と思いこんでいた経済人は、「文化」のもつ付加価値にシフトしてほしいものです。そして和風小物ばかりじゃなく、和風の家、和風のリゾート、和風の町、和風の都市、と外枠を規定してくれれば内容も広がるってものです。それこそ夢のある施策だ。
あと2点目は経済学的には当たり前のことなのに、いままであまりにも語られなかったことだ。バブルの時は労働者が足りないから移民を受け入れよう!と叫ばれた。それが不況になったらグローバリズムに対応するには移民を受け入れよう!となる。経済環境が180度変わっても結論が同じということは嘘があるということだ。そもそも日本人失業者が溢れているのに移民を受け入れるということは、受け入れ企業だけは儲かるかもしれないが、社会全体としてはコストがメリットを上回るのは必然である。「世界市民」の皆さんは「異文化と共存することで刺激されて経済的相乗効果がある」などとまるで論理不明証明不在のご託を訴えるが、そんなことを言ったら世界中の民族紛争地域はすべて豊かでなければならないよ。膨大な失業のいっぽうで労働者不足となっているミスマッチは、不人気職種の環境改善と失業者の再教育によるフィッティングで解決すべきだろう。このあたりまえの理屈が「人種差別」と言われることを恐れるマスコミ、そして移民で儲けたい一部企業の思惑の前に隠蔽されていることこそ問題だ。(まぁ、日本の場合日本を多民族化することで利益を得る特定アジアの思惑もあるわけだが。)